自分に正直に、まっすぐ生きる

更新日:2023年05月23日

 

*はじめに

今回は、2023年2月22日に市内の小学生向けに行われたLGBTQに関する特別授業にて、石野さんが講演されたことを契機とし、インタビューを実現することができました。

紙面の都合上、全てを記事にすることはできませんが、本記事をみてより深く知りたいと思っていただけた方は、石野さんの出版本などをご覧ください。

本記事では、皆さまにとって知るきっかけとなることができれば幸いです。

 

 

石野さんトップ画像

 

元女子プロレスラーでトランスジェンダー(注1)の石野結(いしのゆう)さん。現在は社会人学校に通いながら、新たな目標に向かってまっすぐに努力し続けられています。

 

石野さん話している様子

石野 結さん

摂津市在住。第一中学校を卒業後すぐ、センダイガールズプロレスリング(注2)に入団。リングネーム「花月」として活躍。2014年、同団体を退団しフリーに転向。その後スターダム(注3)に入団。2020年、現役を引退。性別適合手術を行い男性に戸籍を変更し、石野由加莉(いしのゆかり)から石野結(いしのゆう)に改名。自身の経験をつづった「元悪役女子プロレスラー、男になる!」を出版。

 

 

 

プロレスラーとして強くなりたい

ープロレスラーになるまでの経過を教えてください。


小学生の時にプロレスに魅了され、中学2年生の頃には高校に行かないでプロレスに行きたいと父と母に伝えていました。

父は「行きたいんやったら行き」と、母は「行くのは別にいいけど、高校行ってからでもいいんじゃない?」と、父と母で意見が割れました。

プロレスが好きすぎて色々調べていく中で、高校に通う間の3年間分のキャリアはすごく大きいということを知りました。その3年間を無駄にしたくないという思いがあり、中学卒業後すぐにプロレスに行くことに、迷いは全くありませんでした。

そこで、努力する姿を見せることで母に認めてもらおうと思い、中学2年生から卒業までの1年半くらいは、ほぼ遊びにも行かず、プロレスに行くための体づくりに時間を費やしました。具体的には、柔道場を自分で見つけてほぼ毎日通っていました。けがをして柔道ができなくなった後は、筋力トレーニングのためにスポーツジムに通い、持久力のために学校が始まる前の早朝に大正川を走りました。学校から帰ってきてからの時間は、スポーツジムに通うかランニングを行うということを、毎日やり続けました。

こうした努力のおかげで、母に認めてもらうことができましたし、中学卒業後には見事にセンダイガールズプロレスリングに入団することができました。

 

ープロレスを途中で辞めたいと思うことはなかったですか?


中学卒業後すぐに所属したセンダイガールズプロレスリングは、プロレス団体の中で一番練習が厳しいと言われていました。当時はプロレスブームが去っており、さらに仙台という地方の団体なので、試合は月に1回しかないため、やることといえば練習しかなく、1日8時間の練習をしていました。

今思ってもかなり厳しい練習でしたが、とても厳しかった先輩よりも「絶対に強くなりたい」という思いがあったので、頑張れました。でも、練習が辛すぎて「もう帰りたい、やめたい、しんどい」と泣いてお母さんにしょっちゅう電話していました。こんな状態のときは「がんばれ!」と言って励ます母親が多いかもしれませんが、うちの母は「いつでも帰っておいで!」というような言葉をずっとかけてくれていました。それで逆に、「あかんな、頑張ろう!」と思うことができました。母の言葉のおかげで、きつい練習から逃げ出さずに乗り越えられたと思います。

石野さんプロレス

 

なりたい自分で、嘘偽りのない人生へ

ー性別に対する違和感を感じたのはいつですか?


幼稚園の頃だと思います。この頃から、男の子と活発に遊ぶようになって、男の子になりたいなみたいな感覚を持っていたのを覚えています。

またこの頃、幼稚園の先生に対して、「かわいいなー」と感じていました。

女の子も先生みたいになりたいというような、先生に対して憧れがあると思いますが、自分の場合は憧れの感覚とは少し違っていて、男の子が感じるような「先生かわいいなー」というような初恋のようなものだったと思います。

 

ー性別適合手術をなぜ受けようと思いましたか?


手術を受けた理由は、二つあります。

一つ目は、これは以前からの目標ですが、自分が男となって両親みたいな素敵な家庭を築きたいと思ったからです。

二つ目が、木村花の存在です。花は、自身がミックスだということもあり、「みんな違ってみんないい」という言葉をリング上でよく言っていました。スターダムで悪役レスラーとして一緒にタッグを組み、何度も防衛していました。自分は、1番近くにいた先輩だったのに花が辛い時に助けてあげれなかったことに、なんとも言えないもやもやとした気持ちがずっと続きました。このような期間を過ごす内に、自分の人生や命などについて考えるようになり、嘘偽りのない人生を歩みたいと思うようになりました。

 

生殖器があると戸籍上、性別変更はできないので、男性となるには絶対手術をしなくてはいけませんでした。更に手術をするのにも条件があり、未成年でないことや現在婚姻していない、未成年の子どもがいない、 精神科の医師2名以上の診断書が必要であるなど、かなりの条件があります。また、自分の場合は、胸の摘出と子宮卵巣摘出の手術を一気に行い、手術代も200万円程かかりましたが、自分はそこまでしてでも、男になりたいという思いがありました。

石野さんと木村花さん1
石野さんと木村花さん2
石野さん性別変更

男として、社会に貢献したい

ー摂津市との関わりはありますか?


東日本大震災の影響でプロレスの興行がなく、収入が入らない大変な時期に「摂津まつり」に呼んでいただきました。プロレス教室やグッズ販売など、選手全員を摂津市に呼んでいただけたのは非常にありがたかったですね。この他にも10周年記念の自主興行の際に宣伝も兼ねて摂津まつりに出演したこともあります。

また、自分が育った摂津市で少しでも子ども達の為になるのであればという思いで、市内の小学生に対し、LGBT教室として講演を行いました。また、自身のトランスジェンダーとしての経験談を綴った本「元悪役女子プロレスラー、男になる!」を摂津市の学校や図書館に寄贈しています。

ー今後の目標はありますか?


将来の夢は「一生懸命に働いて、両親みたいな家庭を持つこと」。これが、男になって改めて考える将来のゴールです。

プロレスラーという特別な経験をしてきましたが、いざプロレスをやめて一般企業に勤めさせていただいたとき、自分の知識や学力が周囲と比べて物足りないことに気付きました。現在は高卒認定や一般教養を身に着けるために勉強しています。そして、将来的には、社会に貢献できる人になりたいと思います。

石野さん摂津まつり1
石野さん授業の様子
石野さん出版本

※1 トランスジェンダー:出生時点の性別が自身の性と異なる人々を示す総称。石野さんの場合は出生時は女性であり、自身の性は男性。

※2 センダイガールズプロレスリング:宮城県仙台市を中心に活動している女子プロレス団体。

※3 スターダム:女子プロレス団体の一つ。

 

 

* 性的指向・性自認に対する本市の考え方

人の性を表す要素には、身体の性、性的指向(好きになる性)、性自認(こころの性)、性表現(自分の性をどう表現するか)の少なくとも4つあると言われています。戸籍上の性別は男女のどちらかに分けられますが、そのほかは、はっきり男女のどちらかに分けられないことも多く、その時々で変化することもあります。しかし、こうした「性の多様性」が理解されておらず、異性愛や身体の性とこころの性は一致していることが当たり前という認識で、性的マイノリティに対する差別や偏見、排除などが起こっています。性的マジョリティを前提にした社会環境のなかで、性的マイノリティの人は、性別で規定される制服の着用や性別に分かれたトイレの使用などにおいて、苦痛や心理的負担を感じるなど 日常生活を送るうえで生きづらさを抱えていることが多いのが実態です。また、同性同士で家族を形成しようとする人が、同性パートナーであることを理由に入居拒否に遭う、家族として認められず互いの身元保証人になれないなどの困りごとを抱えていたり、本人に無断で性的指向などを他者に暴露するアウティングの被害に遭ったりするなどの人権侵害も起こっています。

誰もがありのままに自分らしく生きられる社会をめざし、性的マイノリティについての理解増進と、権利保障のための法整備が求められています。

そこで本市は以下のとおり、施策の方向性を示しています。

<施策の方向性>
LGBTQに関する講座等の実施により、性の多様性について広く市民の理解増進を図ります。また、性的マイノリティの子どもに対して適切な対応を取ることができるよう、教職員が性的指向及び性自認の多様性に関する理解を深めるための研修を実施します。そして、性的マイノリティの子どもが自分自身を否定せず、社会に受け入れられる存在であるという認識をもてるよう、児童生徒に対して性の多様性についての教育を実施します。さらに、法律婚の夫婦と同性パートナーが同等の権利を享受できない現状については、国の法整備により解決が図られる問題であることから、国に対して法整備を要望します。

&わたし