周囲の期待を糧に

更新日:2022年10月17日

綱崎さんトップ

第10回キンボールスポーツワールドカップ2019フランス大会に日本代表の最年少選手として出場された綱崎華那美さん。綱崎さんが「お父ちゃん」と呼ぶほど尊敬している、全国屈指の強豪“C’mon摂津”を設立した砂田さんとともに、取材しました。

 

綱崎さん&砂田さんインタビュー

綱崎 華那美さん

摂津市在住。市で生まれ育ち、小学4年生から、父母の影響で市内のクラブチームC’mon摂津に所属し、キンボールスポーツを始める。2019年、高校3年生で第10回キンボールスポーツワールドカップ2019フランス大会日本代表選手に選出され、世界第3位に。高校卒業後、働きながら次のワールドカップに向けて練習を続けている。

 

 

嫌いだったキンボール。今では誇りをもってプレー

ーキンボールを打ち込み始めたきっかけは何ですか


幼少期に摂津市のスポーツ推進委員とPTA役員の方々が実施しているキンボールの練習会に両親が参加していて、そこに付いていったときに初めてボールを触りました。当時は、ボールがかなり大きく感じて、触りたくないという気持ちが強く、キンボールが嫌いでしたね。嫌いながらも続けていると、小学4年生の時に砂田さんがC’mon摂津を設立され、所属することになりました。そして、中学2年生でチームの女子4人で関西の大会に初出場させてもらったとき、準決勝まで進出。もっと順位を伸ばしたいと思うようになりました。

このことがきっかけでキンボールって楽しいなと思うようになり、そこからキンボールに打ち込むことを決意しました。習っていたダンスも辞めて大好きなキンボールを中心として生活するくらい、夢中になっていました。

ーポジションはどこですか?


チームの中で一番体を張るポジション「クローズ」です。ボールの目の前でボールの威力を弱めて、スクエアしているチームメイトにボールを託す。いわば、バレーのブロックのようなところです。キンボールを始めた頃は、足が非常に遅くスクエアすることが苦手で、チームメイトやコーチから「走られへんねやったら、ボールの前でチームの為に体張って守れ!」と言われてクローズで守備をするように。体の大きい自分の父も同じポジションだったので、同じようにできるのではないかと思うようになりました。

このポジションは、体が大きい方が相手選手にプレッシャーをかけられるので、有利に働くことができます。時には、ボールの威力に負けて、自分の腕や手が顔や鼻に当たり、鼻を数箇所骨折した事もありましたが、クローズになってからは、チームメイトを陰で支えるこのポジションでプレーすることに誇りを持てるようになっていきました。

※スクエア:打ちあがったボールを落とさないようにカバーしにいくポジション。瞬発的に走ることが求められることが多い。

 

綱崎さんクローズ

 

周囲の支えで成長

ーなぜキンボールに熱中していますか?


私は沢山の人に支えられてここまで成長できたので、お世話になった人の期待に応えたいからです。

砂田さんには個別でジムに連れて行ってもらったり、お母さんと弟がランニングに付いてきてくれたりする等、家族や周囲からのサポートがあります。

C’mon摂津の練習中には、メンバーに「足止まってるで、出来へんねやったらキンボールやめろ」というような結構きつい言葉をかけられることがありますが、この言葉を反骨精神にして強くなれていると思います。愛情ある鞭ですね(笑)。練習終了後には、チームの中で相棒と呼べる選手から「今日の練習良かったよ」と言ってもらえたり、落ち込んでいるときは助けてもらえたりするので、どんなにきつい練習でもメンタルを保つことができています。

他にも、学校の先生方はマイナースポーツのキンボールについてすごく調べてくださり、体育の授業にキンボールを取り入れる等、キンボールの普及にも尽力してくださいました。沢山の人に支えられ、期待されることが自分を一番強くしていると思います。

 

ー砂田さんにお聞きします。綱崎さんはチームにとってどんな存在ですか?


いるだけでチームが明るくなるような、チームに無くてはならない存在です。なんか今日練習が静かだなと思ったら、華那美がいないですね(笑)。また試合中はマイナスなことを決して言いません。どんなに下手なゲームでも予選落ちとわかっていても、必ずプラスのことを言います。チームのメンタル面では欠かせず、いると安心できますね。

 

綱崎さんスライディング
綱崎さんヒット

ーワールドカップの日本代表に選ばれてどうでしたか?


ワールドカップの日本代表選手に選ばれたのは高校3年生の時。授業終わりにスマホをみると、日本キンボールスポーツ連盟が公表している日本代表一覧に、自分の名前が載っていました。その時初めて自分が日本代表となれたことを実感。今までの努力が報われたようで、次の瞬間には号泣していましたね。それを見たクラスのみんながスタンディングオーベーションをしておめでとうを伝えてくれたことです。学校全体でキンボールをする自分を後押ししてくれました。

ワールドカップでは日本代表の中で最年少で、自分がチームの足を引っ張らないようにと必死でした。ほぼスターティングメンバ―で出場させてもらいました。決勝前は足がすくみ、人生で一番緊張した瞬間でしたね。実際試合をしてみると海外選手のパワーはすごく、日本男子と変わらない威力で、圧がすごくてかなり怖かったです。

結果は世界第3位でしたが、海外選手のプレーの仕方やボール移動の技術等、ワールドカップで学べたことは非常に多かったです。

 

ー砂田さんにお聞きします。綱崎さんがワールドカップに選ばれたとき、どう思いましたか?


華那美は、今はこんなに頼もしい存在ですが、小学生のころは体格が良いだけで、ボールを打つことはできても守ることが全然できない、自他ともに認める落ちこぼれでした。彼女を小さい頃から知っている人達はまさか彼女が代表になるとは思っていませんでしたね。だからその分代表に選ばれたときは、「よくぞ!」という気持ちでした。

 

 

 

もう一度ワールドカップに出場し、世界一位に

ー摂津市の思い出はありますか?


摂津市にいなかったらC’mon摂津のような大きなチームに出会えておらず、摂津市民で本当に良かったなと思います。

全国大会で優勝したときやワールドカップ代表に選ばれたときなど、市長にお会いできる機会が2回もありました。

また、私がキンボールの練習に行こうと家を出るとき、近所の人が「今日はキンボールの練習行くん?頑張って」と窓から声をかけてくれる等、人と人との距離が近い、アットホームで住みやすいまちだと思います。

ー将来の夢はありますか?


これまでのワールドカップで日本はずっと2位でしたので、次のワールドカップではもう一度日本代表に選出され、同じチームの相棒と一緒に先輩方の結果を超えて世界1位を獲りたいと思っています。

他にもキンボールを子どもたちに教える機会があり、「華那美ちゃんみたいにヒットを打ちたい」と言ってもらえることもあって、これからも憧れてもらえるような存在でありたいです。

 

※キンボールとは

キンボールスポーツ(KIN-BALL sport)は、直径122cm・重さ1kgという巨大なボールを床に落とさないよう、チームで協力し合う室内で行われる競技。キンボールスポーツの “キン”は、英語の“キネスシス/kinesthesis”=“運動感覚/感性”の略語。運動神経を磨く・競うような記録主体の競技とは異なり、“感性の創出”=“励まし/助け合い/感動の共有や協調性を高める”ことを大切にするスポーツ。子どもから大人まで幅広く楽しめるキンボールスポーツは、今では北米、ヨーロッパ諸国を中心に、全世界で 500万人以上の競技人口がある。世界大会も開催され、ニュースポーツの中でも特に注目を集めている。

 

&わたし