人と違うことをやり続ける

更新日:2021年07月07日

今野翔太

 

プロバスケットボールプレイヤーの今野翔太さん。プロチームのキャプテンを務めたり、オールスターゲームに出場したりするなど、15年間もプロの舞台で活躍を続けられています。今回は、母校である摂津小学校で、当時のミニバスケットボールチームの監督で恩師の前馬晋策さんと一緒に取材しました。

 

今野選手と前馬先生

今野 翔太さん

摂津市出身。摂津小学校でバスケを始め、第一中学校でもバスケ部に所属。高校・大学でもバスケを続け、大学卒業後、プロのバスケットボーラーに。現在はBリーグ「西宮ストークス」に所属。「鉄壁筋肉丸」のニックネームでファンに愛される存在

 

 

小学校での朝練が僕の原点

ーバスケを始めたきっかけは何ですか?


小学5年生の時に、仲の良い友達に誘われてミニバスに参加しました。その頃は少し太っていて、母親から「運動しなさい」と言われていて、ダイエットが目的でした(笑)練習も厳しくて1ヵ月ぐらいですぐに逃げ出しましたね。

その後、先生に呼び戻されて再開したのですが、チームに4年生ですごい上手い子がいて、その子が朝の6時半ぐらいから学校の運動場でシュート練習をしていたんです。それを見て、「凄い。かっこいいな」と憧れ、「あいつより上手くなりたい」と思いました。それでその子より5分でも10分でも早く来て練習しようと、今だったら怒られるでしょうが、校門をよじ登って、朝6時ぐらいからシュート練習していました。そこからどんどんバスケが好きになり、上達して6年生の時にはキャプテンを任せてもらえました。

 

ーなぜ、プロを目指したのですか?


小学校の卒業文集には「バスケのプロ選手になる!」と書いていましたが、小中高と全国大会にも出れず、大学4年生の時に、初めてインカレに出場しました。でもバスケを辞めようと思ったことは一度もなく、自主練はずっと継続してましたね。朝5時から万博の外周を走ったり、昼休みとか10分休みもずっとバスケをしていました。でもバスケは大学までと思っていて、就職も決まっていたのですが、急に大学の監督から「プロリーグのトライアウトを受けてみては?」とほぼ強制的に受けさせられました。(笑)

トライアウトの最終選考の時には、就職先を全て断っていて、母も「あんたがプロになれんの?」と気が気でなかったと思いますね。結果、大阪エヴェッサとプロ契約を結べることになりましたが、学生時代の同級生からも、「今野がプロになったの?」と驚かれることが多いです。

前馬先生は「私も今野がプロになるとは思っていなかった。でも朝の練習とかもそうやけど、本当に毎日続けていた。努力を続けることが立派。対戦相手が強くても勝ちたいという気持ちが全面に出てたし、強い気持ちを持って続けられたことが、プロになれた理由やろね。」と話す。

今野選手体育館での様子

 

周りより下手くそ。試合に出るために練習を

ー長くプロで活躍できている秘訣は何ですか?


周りと比べて、本当に下手くそで、プロ1年目はほとんど試合に出られませんでした。コーチからもお前は「5年で引退する選手」と言われていました。

監督にどうすれば試合に出られるのか聞きにいったんです。すると「技術を習得するのは人によって時間がかかる。でも技術は体力でカバーできる。まずは心・技・体の体を伸ばせ。」と言われました。

そこからは学生時代と一緒で、とにかく走りました。監督が体育館に誰よりも早く来るのを知っていたので、その10分ぐらい前に来て走ってアピール(笑)。地道に走る練習をしていくと、足腰もどんどん強くなって。ディフェンスが良くなり、止められなかった先輩を止められるようになりました。結果、徐々に試合にも出られるようになって、プレータイムが増えれば増えるほどスキルが上がっていきました。気がつくと日本代表選手や外国人選手にも負けないプレーができるようになりました。

小学校の朝練からずっと一緒で、人より先に練習をする。人と違うことをやり続ける頃が大事。それがプロで長くやれている秘訣ですよね。今でも練習以外で週に3回は走っていますし、ディフェンスでは外国人や若い選手にもまだまだ負けない自信がありますね。

 

今野選手取材中

©NISHINOMIYA STORKS

ー摂津市では何か活動をされていますか?


以前は小学生の子どもたちにバスケ教室を開きましたね。他にも昔からボランティアにも興味があって、前馬先生に相談し、社会福祉協議会から福祉施設を紹介してもらえました。

利用者さんと会話をしたり、入浴後のドライヤーをしたり。僕自身がおじいちゃん子、おばあちゃん子だったので、楽しかったですね。利用者さんも「また来てな」と言ってくれて。

後は10年ぐらい前に、摂津まつりに出演させていただきました。舞台上がぺっこぺこ過ぎてドリブルとか全然できないし、パフォーマンスはぐだぐだで、めちゃくちゃすべりましたが(笑)

摂津市でバスケを普及させたいと思っていますし、摂津からプロのバスケ選手が出てくれると嬉しいですね。

摂津まつりでの今野選手
小学生にサインする今野選手
バスケ教室での今野選手

 

バスケの普及を目指した活動を

ー引退後のセカンドキャリアは考えていますか?


すでに活動しているのですが、バスケコートの設置・運営やバスケスクールで指導をしています。特に北摂地域にバスケコートをいっぱい作りたい。昔よりは増えているものの、バスケをしたくても、やれる場所がないと困っている人たちはいっぱいる。そういう人たちが気軽にバスケができるようにしたいですね。

バスケ人口を増やしたいので、幼稚園とかの小さい子どもたちにも、まずはバスケという競技を知ってもらいたい。最近では幼稚園にバスケゴールを寄贈する取り組みをしていて、幼い頃からもっと身近にバスケというスポーツを感じてもらえればと思っています。
 

ー来シーズンの目標は?


来シーズンの目標は、もちろん西宮ストークスのB1リーグ昇格です。

個人的にも、またB1リーグでプレーしたいですね。2024年シーズンに神戸に新設されるNBAのようなアリーナに本拠地が移転する予定ですので、それまでは現役でプレーしたいですね。子どもたちの夢のあるアリーナと共に、バスケ界を盛り上げたい。

 

注釈

Bリーグはバスケットボールのプロリーグ。B1(1部)とB2(2部)の入れ替え制で西宮ストークスはB2に所属。

 

&わたし