欄間の伝統を活かして

更新日:2022年10月17日

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400年の歴史を誇る「大阪欄間」。日本の伝統工芸士に認定された木下文男さんが創業した「木下らんま店」で働く、長女・木下朋美さん。欄間職人として伝統を受け継ぎながら、活動されています。

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木下 朋美さん

摂津市在住。市で生まれ育ち、伝統工芸士である父と同じ欄間職人として木下らんま店で活躍。2015年 大阪府伝統工芸士に認定。欄間の技術を活かしながら、従来の形にこだわらない作品を展開。大阪製ブランドに認定された「mocca<杢花>」など伝統を次世代に届ける幅広い作品を展開されている。

 

大阪欄間の伝統を受け継ぐ

ー大阪欄間とは何ですか?


欄間は日本の伝統的な建築様式の一つで、天井と鴨居の間にある開口部分に入れる彫刻板のこと。家の品位を高める装飾品としてだけではなく、採光と風通しを良くし、湿度の高い日本でも快適に過ごせる役割もあります。

その中で、欄間は2大産地として、「大阪欄間」と「富山の井波彫刻」があります。大阪欄間は四天王寺(大阪市)や聖神社(和泉市)などで伝統技法の発祥が見られ、17世紀初めが発祥と言われています。

 

ーなぜ欄間職人になったのですか?


男性社会であったので、女性が職人になる風潮もなく、自身の将来の選択肢には無くて、一般の事務会社で働いていました。父も継いで欲しい気持ちはなかったそうですが、当時はバブル等もあり、お店が非常に忙しい状況であったため、荷造りや配達など、数年間は手伝いをしていました。子どもの頃から父が働いている姿を見ていたこともあり、大人になり改めて手伝いをする中で、少しずつ興味を持ち、自身も欄間職人として働きたいと思うようになりました。

受け継ぐと決め、道具を持ち出してからは、教えてもらう風潮というよりも、手伝いの合間に「見て習え」という中で試行錯誤を繰り返していましたし、今も少しでも父の技術に近づけるよう日々研鑚を積んでいます。

 

木下さん3

 

欄間の技術を活かした新たなデザインに

ー時代が変化する中で「欄間」の文化に影響はありますか?


阪神大震災後に住宅事情が変化し、和室がない住宅がどんどん増えていき、その中で欄間の出番が減少していきました。最盛期にはたくさんの仕事をいただいていたのですが、発注が少なくなっていきました。

父や職人さんたちが磨き続けた伝統技術が途絶えてしまうのではないかと不安があり、このまま当時の用途にこだわると衰退する一方になってしまうと考え、今までのやり方とは違う方法を模索するようになりましたね。

ー今までとは違う方法とはどんなものですか?


欄間を身近に感じられる機会も少なくなって、欄間を知ってもらうために、イベントや催事に出店し、少しでも足を止めてもらう機会が必要と考えていました。そのため、欄間職人の技術や技法を活かした商品が出来ないかと思考錯誤するように。その中で、今の人でも身近に感じられる、お皿など小物を欄間の技術を活かして作成するようになりました。日々技術を磨きながら、職人になろうと思い、20年が経った頃に、「mocca〈杢花〉/らんま職人の花小皿セット」が大阪製ブランドに認定されました。

こういったものをきっかけに本来の「大阪欄間」を知ってもらえれば良いかと思っています。

mocca 杢花

細かい目に見えないところにもこだわり

ー他にはどんなものを作っていますか?


最近は、彫刻の技術を活かしたらんまみずや(食器棚)や眼鏡入れにもなるRanmaCaseを作りました。桐たんすの職人さんとコラボするなど、伝統を活かしながら、欄間をPRできるように様々な形で模索しています。異業種と連携するなど、様々な機会で、皆さんの目に留まりやすい小物などを作り、いろんな人に知ってもらいたいですね。欄間だけでなく、他の伝統産業とコラボするなど、こだわりとしては、細かい目に見えないところにも手を入れています。

らんまみず
メガネケース

ー今後の夢は何ですか?


職人の世界は70代でもまだ新人と言われる世界です。私も日々技術を磨いていきながら、一歩一歩地に足を付けながら頑張っていきたい。摂津市には、全国各地から原木など銘木を取り寄せ、木の競りが行われる銘木団地もあります。様々な機会を通じて、大阪欄間の存在も一緒にもっと多くの人に知ってもらいたいです。

欄間の伝統技術や文化を絶やさないために、今の時代に合ったものを模索し、伝統を守りたいと思っています。

 

 

&わたし