歌で世界がつながる

更新日:2021年05月26日

寺尾仁志さん

 

「いくつになってもワクワクする事が大事。」年齢、職業、環境に関係なく、700名のメンバーが所属するシンガーグループ「human note」を結成した寺尾仁志さん。リーダーとしての歌手活動だけでなく、発展途上国や被災地への支援など幅広い活動をされています。

 

寺尾さんインタビュー

寺尾 仁志さん

摂津市出身。市で生まれ育ち、歌手になる夢を叶え、30歳でメジャーデビュー。日本初のゴスペルグループのリードヴォーカルやシンガーソングライターとして活躍。2007年 human noteを結成。年齢、性別、職業、人種、宗教を超え、「歌を通して人とつながり、ウタの持つ力を持って、日本中・世界中をウタでつなげることをミッションとして、日々歌い続けている。」

 

 

ワクワクする環境が、人を変える

ーhuman noteはどんな活動をしていますか?


オリジナルの楽曲を通じて「ウタのチカラ」を届けるコンサートを中心とした〈アーティスト活動〉と学校や病院、福祉施設、被災地などにウタを届ける〈ホスピタリティー活動〉を軸として活動しています。

メンバーは一緒に歌いたいという人でれば、誰でもOK。70代の人、親の介護をしている人、子育てをしている人、障がいのある人、癌サバイバーの人など様々です。

音楽経験の有無は問いません。しかし、本気であることを求めています。もちろん誰にだって得手不得手はあります。だけど人間ってどうしても仕事や年齢など、環境や他のせいにしてしまいがち。でもステージに立ったら見てくださるお客様にはみんな同じなんです。理由を付け言い訳をしているカッコ悪いところは見せたくない。だから「やるんやったら本気で!」といつもメンバーには伝えています。

 

ーなぜhuman noteを結成したのですか?


若い頃シンガーソングライターとしてアーティスト活動をしながら、生計を立てるためにゴスペル教室の講師をしていました。アーティストは誰だってそうだと思うのですが「売れたい、有名になりたい」という思いと「聞く人を元気づけたい」という思いの二つの側面があるんですね。でも段々と「売れたい、有名になりたい」という自分の気持ちが、すごく小さなことで、面白くない。この先に何があるのか…。心に穴が空いているように感じていました。

そんな時にゴスペル教室の生徒さん約150名が出演するコンサートを開催することになり、そのコンサートに向けて練習を重ねていました。ステージに上がるためにメイクや衣装などに悩み、時にぶつかりながら成長し、どんどんみんなの顔が変わっていったんですね。コンサート終了後には多くの生徒さんが「先生ありがとう」とメールをくれました。

生徒さんの中には、実は鬱病を患っていたり、パニック障害を抱えていたり。でもメールには「生活の中に歌があることで、症状が軽減された。本当にありがとうございます。」と。医学的に証明されていることではないですが、歌を通してワクワクすることで、症状が改善したのです。その瞬間に「自分の歌を通して、社会に貢献していきたい!」と空いていた僕の心のピースが埋まりました。これがhuman note 結成のきっかけです。

 

human note 歌
平和コンサート

 

可哀想そうな人でない。お互いを知ることが大切

ー海外ではどんな活動をしていますか?


human noteは幼稚園・小学校を中心に、学校訪問コンサートを行っています。一方的に聞いてもらうコンサートではなく、一緒に歌ってもらう参加型のコンサートです。2008年「ぜひうちにも来て欲しい」と依頼があり、アフリカ・ケニアの学校を初めて訪れました。目にしたケニアの子どもたちは、ビニール袋で学校に通っていたんです。どうしたらよいかと考えた結果、子どもたちにかばんを作ってもらい、それを現地の子どもたちに渡す。そして渡している映像を日本の子どもたちにお返しする。その映像を見た子どもたちは「うわーっ」と喜んで、自分事として実感してくれていましたね。

2018年には、摂津市でオリジナルランドセルを配布していることを思い出し、要らなくなったランドセルやリュックを集めていただき、ケニアに送りました。日本の子どもたちへ伝えていることは「可哀想とか、やってあげている」とか自己満足にならないようにすること。日本と比べれば確かに物はなく豊かではない。でも物がないからといって可哀想ではない。物はなくても、日本と同じ普通の子どもたち。キラキラ輝いています。

以前、障がい者の方の前で歌うことがあり、事前の打ち合わせをしていた時のことです。「障がいを持っている人はたいへん。特に障がいの重そうな人とは会話がしにくいだろう」勝手に自分で決めつけ、あまり声をかけていなかったのです。でも打ち合わせの最後にその人から「皆さんも、私たちもいろんな人がいる。相性が悪い人もおるし、気楽に歌いに来てや」と意思を伝えられました。そこで気付いたんです。勝手に可哀想と決めつけていて、その人たちの前で歌ってあげる自分に満足していた。そうじゃないんだ。お互いを知ることが大事なんだと。

 

ー被災地で活動して感じることは?


2010年、大地震のあったハイチを訪問しました。その際現地の方から「日本からたくさんの物を送られてきたが、これはなんだ?」と聞かれたものがありました。それは千羽鶴でした。復興への願いが込められているなど説明はしたのですが「意味は分かるがいらん。邪魔で仕方がない」と言われてしまいました。

災害が起きた際、現地ではその時何が必要なのか、知る必要があります。なぜなら災害が起きてからの時期や文化によって必要なものが変わってくるからです。一方的に決めつけて支援することは自己満足になりかねません。

障がいがあっても、途上国でも、被災していても、それは「可哀想」ではない。その時助けを必要としている方に、今自分には何が出来るのか。そうしてお互いを知ることが一番大切なんです。そこで見えてくる事がある。そこを音楽で表現したいですね。

 

 

ケニアランドセル

 

郷愁のあるまち。摂津は僕の原体験がある

ー摂津市での思い出は?


摂津市には約50年住んでいましたが、郷愁のあるまちだと思います。僕の原体験があるので、頑張ろうという想いにさせてくれます。

子どもの頃、正雀の商店街に祖母と手を繋いで、毎日買い物に行っていました。漬物屋の大将が「今日はこの漬物が美味しいよ」と当時4歳ぐらいの僕に、凄い楽しそうに話しかけてくれる。他の店に行っても皆がニコニコしている。祖母と店主の会話が楽しそうで、「プロってそういうものなんだ、仕事って楽しいもの、大人って楽しいもの」という考えを僕に植え付けてくれました。

human note の裏テーマは、大人が理屈抜きで楽しそうに歌っている姿を見て「大人って楽しそう!大人ってカッコいい!」と子どもたちに感じてもらうことなんです。だから自分のまち「摂津」を忘れたくないんです。摂津市は何もない印象。でも人の温かさや人のつながりが残っているまちですよね。

ー今後の夢は?


歌で世界中と繋がっていく。人種や環境に関係なく、お互いを知ることで、仲良くできることを証明したい。出来なくてもそれを誰かに託して死にたい 笑

最近では、フランスやイギリス、オーストリアから、「human noteをやりたい」という現地の日本人の方が現れ、オンラインレッスンを企画しています。それぞれの国での活動を通じて現地の人と音楽で繋がっていきたいですね。

誰だってしんどい時がある。悩みや挫折がある。でも人とのつながりや生活の中に歌があることで、いくつになっても成長できる。これからも歌や音楽を通じワクワクできる環境をつくり続けていきたいです。

 

 

&わたし