石碑顕彰札・流れの馬場跡・条里制(QRコード用抜粋)
更新日:2026年04月18日
市内各所に所在します文化財を紹介した石碑・顕彰札を紹介します。市内を散策のおり、見かけましたら、足をとめてみてください。摂津市の昔に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
流れの馬場跡 摂津市千里丘東3丁目1 石碑
元亀元年(1570年)から本願寺と織田信長が戦った石山合戦で、本願寺の末寺である勝久寺の住職頓恵は、摂津・河内・和泉の僧俗数千と、石山本願寺にたてこもった。
天正8年(1580年)3月17日に本願寺と信長は和睦した。同年4月9日、顕如の石山本願寺退去にともない戦いに加わっていた住持・門徒も帰村した。
安堵の思いで法義談合を行っていた5月28日、不意に信長軍に襲撃され、堂舎を焼き払われたうえ、多数の門徒たちが捕らえられて殺害されたという。
そのため、あたり一面は血の海となったので、寺の前方を流れる境川を「流れの馬場」の古戦場と今に伝えている。

条里制 摂津市千里丘東4丁目1 顕彰札
条里制とは古代(7~8世紀)におこなわれた土地区画整理制度のことである。この制度によると当時東西南北六町(約654メートル)の間隔で土地を正方形に区画し、六町四方(約42ヘクタール)の面積の土地を里と呼んだ。また、この里の各辺を六等分し、合計三十六の四方形の土地に分け、この一町四方(約1.2ヘクタール)の土地を「坪」といい、当時は坪単位に分かれていた。
その名残は、かつて坪井村という地名があったことから推察することができる。摂津市域の坪井付近(千里丘東4丁目)は、旧嶋上郡・旧嶋下郡と展開されてくる三嶋条里の方向が転換する地域であることが知られている。坪井以西の条里は西へ33度方位を変えており、西方の吹田市域へ展開する条里の起点となっている。
この付近から六個の石が発見され「坪境石」・「けんか石」とも伝えられている。条里制の遺構の近くには石組の水門を見る例が多い。これらの石は境川沿いに並んで埋められていたもので境界領域を示すとともに、水利のために利用された石であるといわれている。

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