明和池遺跡出土遺物展示会を開催しました。

更新日:2018年03月30日

郷土の歴史を未来へ

 摂津市では千里丘7丁目地先にある明和池遺跡の発掘調査が行われ、地面を掘り下げ過去の生活の痕跡を探るもので、調査では大昔の摂津市の様子をうかがわせる遺物が出土しました。

 平成24年6月4日(月曜日)~6月15日(金曜日)まで摂津市役所、6月18日(月曜日)~7月1日(日曜日)まで摂津市立コミュニティプラザで開催された展示会では、平成23年度の明和池遺跡の発掘調査で見つかった遺物を中心に展示いたしました。

明和池遺跡出土遺物展示会全景の写真
発掘された土器の写真

主な展示遺物

人面墨書土器の写真

人面墨書土器

墨書土器「王」の写真

墨書土器「王」

土馬とミニチュア竃の写真

左:土馬 右:ミニチュア竃

明和池遺跡とは?

明和池遺跡は摂津市の千里丘7丁目地先にある遺跡です。遺跡の北側には山田川、南側には正雀川が流れ、市内でも標高の高い扇状地内に位置します。明和池遺跡は明和年間(1764年~1771年)に掘られた明和池という溜池が名前の由来で、昭和8年の工事の際、池の底から古墳時代の須恵器が発見され知られるようになりました。

近年の発掘調査

平成22年度調査

吹田操車場跡地の土地区画整理事業に先立つ発掘調査が行われ、摂津市では初めて弥生時代後期(今から1800年~2000年前)の人々の生活していた跡が確認されました。生活していたことを示すものとして、竪穴建物と呼ばれる地面を掘り下げて床を造った建物が7棟見つかりました。また、建物のすぐ脇には、当時の川の跡が見つかり、川べりからたくさんの弥生土器が出土しました。

平成23年度調査(前半)

調査では、弥生時代後期の掘立柱建物跡3棟、古墳時代後期(今から1400年~2000年前)の川の跡、井戸跡などが見つかっています。川の跡からは、たくさんの須恵器が出土しました。興味深いことに、出土した須恵器の多くが、ゆがんでいたり、十分に焼けていないような不良品でした。摂津市に隣接する吹田市では、古墳時代の須恵器を焼いた窯が数多く見つかっています。出土した須恵器は、吹田市域の窯で焼かれたものとよく似ています。今回の調査地の付近に、窯で焼かれた須恵器を選別するための場所があったのかも知れません。

平成23年度調査(後半)

調査では川の跡が見つかっています。古い川は弥生時代後期、新しいものでは鎌倉・室町時代の川の跡です。いずれも現在明和池遺跡の北側を流れている山田川の旧河川であると考えられます。その中でも、奈良~平安時代に流れていたと考えられる川の跡から、興味深い遺物がたくさん出土しています。今回展示する遺物の多くが、この川の跡から出土したものです。顔を描いた土器や、王と書かれた墨書土器、ミニチュアの竈や土馬などです。これらの特徴的な土器は、昔の都や国・郡の役所施設から多く出土することが知られています。これらの発見は、今後明和池遺跡を具体的に考察するうえで、非常に重要な情報を教えてくれています。