学校沿革

更新日:2021年05月10日

摂津市立味生小学校 創立・沿革

創立記念日10月13日

本校は、もと一津屋学校といい、正式な名前は第三大学区第四中学区第八大区四小区四番小学校というとても長い名前だった。明治7年(1874年)9月23日に一津屋にある誓源寺というお寺で学校が開かれた。

明治9年(1876年)12月1日、水害により学校が開かれてなかったが、学校を阿弥陀寺に場 所を変えて再開した。
明治13年(1880年)7月1日、一津屋村郷倉に場所を変えた。
明治15年(1882年)1月、新教育令により一津屋小学校と名前を変えた。
明治16年(1883年)4月23日、一津屋、新在家、別府の3村が連合して鯵生小学校と名前を変えて、別府村にて学校が開かれた。
明治17年(1884年)4月23日、通学に不便なので、一津屋小学校にもどった。
明治18年(1885年)4月21日、鯵生小学校一津屋分教場として開校した。
明治20年(1887年)4月1日、新小学校令により、味生神社内に一津屋尋常小学校として開設した。
明治23年(1890年)10月13日、味生尋常小学校として開校した。
明治41年(1908年)4月1日、高等科をつくり、味生尋常高等小学校と名前を変えた。
昭和16年(1941年)4月1日、文部省令により味生国民学校と名前を変えた。
昭和22年(1947年)4月1日、新学制により味生村立小学校と名前を変えた。
昭和31年(1956年)9月30日、味生村は鳥飼村・味舌村・三宅村と町村合併をして、三島町となったので、三島町立味生小学校と名前を変えた。
昭和41年(1966年)11月1日、三島町が摂津市になったので、摂津市立味生小学校と名前を変えて、今の学校の名前になった。