メッセージ(巻頭言より、集いより 他)

更新日:2024年05月03日

恩師と教え子(R6.5.1)


 

「あんたは、いい中学生になるわい。」
「お!音楽の天才!」
「たくぞう、仲間外れを出すな。そして、自分から仲間から外れるな。」
「行け~、たくぞう~!!」
私が中学生のとき、大好きだった先生方からいろんな場面で言われた言葉です。
音読がおもしろかった国語のY先生。
人生の回り道をしてどんな質問にも真剣に応えてくださった理科のM先生。
苦手な数学を得意教科にしてくださった数学のM先生。
ドビュッシーのLPレコードを貸してくださった音楽のF先生。
放課後に英検や授業の補習をしてくださった英語のH先生。
そして、卒業アルバムには「青年よ、常に正義とともにあれ」「決して人を侮ることなく、あなたらしく」と書いてくださった担任の先生。
今でもあの大好きだった先生方の顔や言葉が思い出されます。

 

私は大学を卒業後、民間企業に就職しさまざまな壁にぶつかってきました。その度に励みとなり支えとなったひとつは、こうした恩師との思い出や言葉でした。38歳で教師になった私の人生は、決して直線的ではなく紆余曲折(うよきょくせつ)の道をたどって今日に至ります。
教師になった私には教え子ができ、頻繁に同窓会を開いてくれます。
「先生、なんであのとき僕をあの役に選んでくれたん?」
「授業中に先生のズボンが破れてマジ笑ったわ!」
「先生があのとき親に黙っとってくれて助かったぁ。」
「塾では無理やと言われたけど、先生がおまえなら行けるって言ってくれた」
教え子たちもまた、言葉のプレゼントをくれるのです。

 

そして今、第三中学校に着任して約1か月。何人かの生徒が話しかけてくれます。
これは、ほんとうに嬉しいことです。
既に心に沁みる言葉をもらいました。
「先生は、先生らしさを出せばいいんじゃない。」
あなたたちの何気ない一言が、私を幸せにしています。

 

それはきっと、友達にも同じことが言えますよ。

 

 

 

「言葉」(R6.4.8)


145名の新入生の皆さん、第三中学校への入学、おめでとう。
133名の2年生の皆さん、いよいよ先輩になりましたね。進級おめでとう。
137名の3年生の皆さん、ついに最上級生、進路を切り拓くときがきましたね。全力で応援します。

入学式では、「最初の授業」として、「言葉」についてお話ししましたね。

自己紹介の中で、大切にしているものの一つが「言葉」であることを伝えました。

校長先生も、はじめから大人だったわけではありません。君たちと同じ中学生のころがありました。国語の授業では『河童と蛙』という詩で言葉のリズムの面白さを感じたり、数学の「相似な図形」の問題に3日間頭を悩ませ、ついに解けたときに湧き上がる喜びを感じたりしたことを今でも覚えています。部活動では野球部でセンターを守り、公式戦で相手のタッチアップを阻止し、仲間と喜んだ場面などは今でも映像として思い出されます。それらのいわゆる「青春」を支えてくれたのが、家族の「言葉」、友達の「言葉」、先生の「言葉」だったのです。

「言葉」に励まされ、「言葉」に傷つき、相手を傷つけてしまい、そしてまた「言葉」に救われてきたのです。

だから、「言葉」には力があることを知っています。

だから、「言葉」を大切にしています。

だから、君たちが語る「言葉」を心から楽しみにしています。

あのころの自分自身と重ねながら、君たちの「言葉」に耳を澄まし、「本当の声」を受けとめたいと思っています。

 

保護者の皆様、4月から第三中学校に校長として着任いたしました。
私は、入学式と始業式で自分自身が大切にしているものの一つが「言葉」であると自己紹介をしました。

私は、こどもは学びの天才だと思っています。
いいことも学べば、そうでないことも学びます。
こどもも大人も人は皆、環境に学びます。
生活環境、人的環境、そして言語環境です。「言葉」は、言語環境にあたります。

こどもたちが、自分はどうしたいのか、自分はどうなりたいのかを、自分の「言葉」で考え、自分の「言葉」で語り、この第三中学校を変えていく「こどもが主役の学校づくり」を推進してまいります。

第三中学校は、コミュニティスクールです。保護者の皆様、地域の皆様の共感をいただきながら、一緒に取り組んでいけたら心強いなと思っております。どうか保護者の皆様の「言葉」も聞かせてください。ご協力をよろしくお願いいたします。

 

 

年年歳歳花相似、歳歳年年人不同     (R6.3.1.)


「BOSSに聞いたらええねん」

 教室の花や緑の元気がなくなった時に、対応を聞きに来る人たちがいます。

 観葉植物を廊下や階段にどんどん並べるし、シクラメンやヒヤシンスを教室へ配るから、私が詳しいのだと思っているようです。でも実は、私にたいした経験はないんです。今の3年生と一緒に三中にやって来て、それから植物を扱い始めました。虫にやられたり、必要なときの水やり不足や冬の寒さ対策不足で、いくつもの花や観葉植物を枯らせてきました。「失敗」を何とか次の年のシンゴニウムやディフェンバキアに活かそうとしてきました。「1年前とは違う自分」の積み重ねで、今年の花や緑はしっかり元気に育っています。さぁ、寒かった冬もあと少しです。いよいよ春がやってきます。

 正門を通りアプローチを進んだところにある堂々とした桜。体育館の入り口横で校舎から伸びてくるような躍動的な桜。通用門から生徒玄関に向かう坂の両側に並んだ雅やかな桜。三中にはいくつもの桜があります。すでに膨らんできている蕾。やがて満開を迎えて咲き誇り、舞い上がることになるでしょう。

 唐の時代の中国の劉希夷という人の「代悲白頭翁」(白頭を悲しむ翁に代わって)という漢詩に有名な一節があります。

   年年歳歳年年歳歳花相似(年年(ねんねん)歳歳(さいさい)相似(あいに)たり)

   歳歳年年人不同(歳歳年年人同じからず)

 「来る年も来る年も、花は変わらぬ姿で咲くけれど、年ごとに、それを見ている人は、移り変わっていく」という意味で、自然の悠久さと、人の世の無常さを対比させていると言われています。三中の桜はこれまでと同じように綺麗に今年も咲くことでしょう。でも、それを見る三中生は去年とは違うのです。卒業していなかったり、入学してきて加わったり…です。そして、今年も花を見るだろう1年生と2年生も、それぞれ1年前の自分よりしっかりと成長しているはずです。「見る人」は顔ぶれも中身も「同じからず」なのですね。

 

 今月14日には126人の3年生が「卒業生」となります。卒業生の皆さんと保護者の皆様に心からお祝い申し上げるとともに、子どもたちへの指導・支援に関わってくださった多くの方々へ厚くお礼申し上げます。また、1・2年生も1年間の総まとめに取り組んでおります。卒業や進級への大切な残り数週間、ご協力・ご支援のほどよろしくお願いいたします。

 桜は同じように咲くからいい。人は同じでないからいい。私はそう思うのです。

 

 

 

10/5ウエイ    (R6.2.1.)


 高校生の時。学校帰りの夕方の遅い時間に正雀駅で降りると、白い杖を持った視覚障害者の方と一緒になることがたまにありました。駅のホームから階段を昇ることになるので、何回目かに(勇気を出して)肘を持ってもらえるように腕をそっと出しながら「どうぞ」と言ってみたら、「ありがとうございます」と右肘を持ってくださいました。そう上手くいくこともあれば、「どうぞ」が相手に届かなかったり、(必要ないと)断る人もいました。…そんな話を家でしたら、父が「そういう時は、まず『お手伝いしましょうか』って言うといいんやで」と教えてくれました。

 先週の金曜日に2年生が「障害のある方と一緒に行う避難訓練」を実施しました。目の不自由な方や車椅子の方々と一緒に避難するときにどんな配慮や行動が必要なのかについて、体験的に学ぶことができました。グループでのコミュニケーションタイムで車椅子の方が「(私たちが困っているように見えたり、危険だなと感じたら)皆さんも勇気がいるかも知れませんが『何かお手伝いしましょうか』って言ってくださると、私たちは本当にありがたいんですよ」って言われました。それを聞いていた2年生の表情が優しくて温かかったからか、私は、街で障害者の方に声をかけている中学生の姿をイメージすることができ、少しぽかぽかした気持ちになったんです。

翌々日の日曜日にスポーツジムへ行きました。茨木のジムには温泉の露天風呂があるので汗をかいた後の楽しみでもあります。この日、白い杖をついた方が小さな露天風呂へ進んで行きました。(出入り口の沓摺や湯船の段差は大丈夫かな?)と少し心配し、見守りながらついていきましたが、その方は杖を操作しながらうまく湯船に浸かられました。

「何かお手伝いすることはありませんか?」と、近くの方が声をかけられました。

「ああ、だいじょうぶです。ありがとうございます」。露天風呂に気持ちのいい空気が流れました。

 

 「10/5ウエイ」というものがあります。「誰かと10フィート(約3m)以内に近づいたら目を合わせ微笑みかけること。5フィート以内に近づいたら『こんにちは』と声をかけること」というガイドラインで、ルイジアナ州の病院で策定して広がったものです。実践しているところでは雰囲気がよくなり、利用者の満足度も上昇しているといいます。中学生がそのまま行うものではないでしょうが、クラスメートや仲間と出会ったら微笑んだり、ハンディキャップのある人が困っていたら「お手伝いしましょうか」と声をかけることは、三中生ならできると思うのです。そして、あなたのその行為は相手だけではなくて周りの人も温かい気持ちにするんです。温かい気持ちは人から人へと広がるのです。あなたがクラスにいることでクラスが温かくなるんですよ。

 

 金曜日、車椅子の方はもう1つ言われました。「大きな災害が発生したとき、私たちは皆さんにお手伝いをお願いしたいことがたくさんあるけど、まずは皆さん自身の安全をしっかり確保してくださいね。そこからです」

 そうですよね。地域や仲間で助け合うって、そういうことなんですよね。…これもまた大切なこと。私はそう思いました。

 

 

 

 

これを知る者はこれを好む者に如かず  これを好む者はこれを楽しむ者に如かず (R6.1.9.)


明けましておめでとうございます。保護者の皆様、地域の皆様におかれましては、清々しい新春をお迎えのことと存じます。旧年中は、本校教育活動へご理解・ご協力いただき、心よりお礼申し上げます。生徒の皆さん、一陽来復の日から続いた冬休みを、それぞれの「春」へ向けての日々として過ごすことはできましたか。さぁ、3学期が始まりました。

* * *

 小6の時に少年ジャンプで、諸星大二郎のSF漫画「生物都市」(第7回手塚賞入選作品)を読んだ。衝撃だった。…以来、気になる漫画家の一人になった。中2で始まった「暗黒神話」の連載。単行本を買い(理解できない部分があるので)何回も何回も読んだ。日本神話に興味がわいて別の本で調べてみた。新しい知識を持って再び「暗黒神話」を読んだ。なるほど。分かる、発見がある。どんどん楽しくなった。

 中3の時に「孔子暗黒伝」の連載が始まった。大きな期待。でも、漫画の時代背景も登場人物もほとんど分からず、読むのを止めてしまった。

 ところが、である。晴れてスタートした高校生活で再会するのである。孔子と。「古文」の授業で(孔子の言葉を弟子がまとめた)「論語」が登場する。「故きを温めて新しきを知る」とか「とも遠方より来たるあり、また楽しからずや」である。さらに高2の「倫理社会」で世界の哲学者や思想家について学んだ。儒教の創始者であり、釈迦、キリスト、ソクラテスと合わせて4大聖人の一人に数えられる孔子をしっかりと学んだのだ。…その後に私が「孔子暗黒伝」の単行本を楽しく読み出したのは言うまでもない…。

 タイトルは、「論語」で紹介される孔子の言葉です。あることについて知識があって理解している人は、そのことを好きな人にはかなわない。さらに、あることを好きな人も、それを楽しんでいる人には及ばない。という意味です。単に勉強して知識を増やす人よりも、その教科や単元を好きになって勉強している人の方が成果を上げる。さらに楽しんで勉強している人の方がもっと成果を上げる。ということですね。これはスポーツでも芸術でもそれ以外のいろいろな技術でも同じでしょう。皆さんも、そういうことをなんとなく実感してきたはずです。何かに取り組むときに、何かに挑戦しているときに、楽しむ姿勢を持つことがとても大切だということですよね。ただ、かつての私が経験したように、楽しむためには「興味・関心」や「知識・技能」も必要でしょう。そんなに簡単には楽しめないのです。でもね、皆さんが本気になって自ら動き出しさえすれば、気がつけば「楽しめる位置」まで来ていることって、意外に多いんですよ。

 そう。その気になれば、受験勉強さえ楽しめるんです。そして、楽しんだ者には誰もかなわないのです。三中生の皆さん、ちょっと意識して3学期を過ごしてみませんか。

 

 

 

 

冬至冬中冬始め     (R5.12.22.)


 南京、蓮根、銀杏、人参、金柑、寒天、饂飩… さて、何でしょう?

 ふりがなをいれますね。南京(なんきん)蓮根(れんこん)銀杏(ぎんなん)人参(にんじん)金柑(きんかん)寒天(かんてん)饂飩(うんどん)です。南京は「かぼちゃ」、饂飩は「うどん」のことです。これら7つの共通点は何か。それがどういうことなのか。そして、この7つの食べ物をまとめてなんて言うのか。です。ちょっと、考えてみてください…。

 2学期の最終日。今日は日照時間が最も短くなる「冬至の日」です。そして、この日に食べると「福が来る」「運気が上がる」と言われるのが冒頭の7つの食材で、「冬至の七種(ななくさ)」と呼ばれているんですね。有名な「秋の七草」や「春の七草」とは違って、知っている人は少ないのではないでしょうか。ただ、「運気が上がる」理由については、単なる語呂合わせ(「ん」が2つ付く食材を冬至に食べると「たくさんの運(ん)が呼び込める」)だということですので…。

 冬至の話をもう1つ。一年で最も日照時間が短いということは、その日を境として翌日からは少しずつ日が長くなっていくということになります。そのため、冬至は太陽が復活する日ということで「一陽来復」とも称されます。弱っていた「陽」が再び強く戻ってくるというところから、「悪い事が続いたあと、好運に向かう」という意味にもなっているのです。

 最高気温が34.8℃もあった8月25日から114日経ちました。たくさんの行事があり、忙しい日々が過ぎていきました。皆さんは、クラスではもちろんクラブ活動や放課後に、仲間と一緒に(時には一人で)いろんな経験をしてきたのではないでしょうか。へとへとになりながらも充実感や達成感を味わえた場面は多かったと思います。でも、いいことばかりではなくって、上手くいかなかったことや辛かったこともたくさんあったことでしょう。解けない問題、見つからないモノ、あきらめてしまったコト…などなど。

 114日の最後の数日は、最高気温が10℃に満たない日が続きます。冬は始まったばかり、これから本格的な冬となっていくのでしょう。冬至冬中冬始めですから。でもね、気温はそうなのかも知れませんが、日はこれから少しずつ長くなっていくのです。今日は、一陽来復です。皆さんの次の「春」へ向け、いい方向に動き出す日だと思っています。好調な人はますます。不調な人はこれから好転。今日はそんな日なんです。大丈夫。…皆さんは、ほんとうによく頑張った。そんな2学期でした。ありがとう。

 

 

 

 

忙中閑有り    (R5.12.1.)


四角形ABCDに対角線を引きます。

角ABD=20°, 角ACD=30°, 角DBC=60°, 角ACB=50°とするとき

角ADBの大きさを求めなさい。

 私が中学3年生の時に苦しんだ問題です。担当の数学の先生から「巷で流行ってる問題や。解いてみろ」と出題されました。(簡単そうやな)と思いました。ところがなかなか解けない。自宅に持ち帰って、けっこうな時間をかけても解けない。悔しいから翌日に「ホンマに中学校の範囲ですか?」と聞きました。「もちろん中学校の数学で求められる。なんなら、小学校の算数の範囲でも解けるで」(いや、いや、いや…。ホンマかいな…。何か値とか条件とか抜けてるんちゃうん?)「…お前、何か抜けてるとか思ってるやろ?」(げっ、なんで考えてること分かりますねん (--;) )「いえいえいえ。そんなん思ってません。分かりました。もっと考えます」「おお、考えろ。考えろ。もちろん数値だけやのーて、求め方の根拠がいるからな」「はい、分かってます」「やることいろいろあるやろうけど、じっくり考える余裕も大事や…」

 

 タイトルは、昭和の思想家である安岡正篤(1898~1983)の「六中観(りくちゅうかん)」の一つです。「ただの閑は退屈でしかない。ただの忙は文字通り心を亡ぼすばかりである。真の閑は忙中にある。忙中に閑あって始めて生きる」とあります。忙しい中にこそ暇や余裕に価値を見いだすことが大切だということです。心に余裕などのない忙しさは、「心を亡くしてしまう」ことになり、「人に関心を持つという大切なことを忘れてしまう」、つまり「無関心」へとつながるのです。

 長くて忙しかった2学期もあと3週間となりました。年末に向けて、受験に向けて、皆さんの忙しい日々は続いていくことでしょう。忙しいときほど余裕を大切にし、余裕のあるときほど忙しいときの生活を忘れない、そんな気持ちで過ごしていってほしいと思うのです。

 

 (そうや…!)私は森本先生に出題してみることにしました。

 「森本先生、森本先生。ちょっと頭の体操で、この問題やってみませんか?」

 「なんですか、これ。すぐにできそうですけど…」

 平日の夕方の遅い時間でした。しばらく考えていた森本先生が言いました。「ホンマに中学校の範囲ですか?」…どこかで聞いたことのある台詞です。私は応えます。「もちろん中学校の数学で求められます。なんなら、小学校の算数でもできますよ…」これまた聞いた台詞。「何か値とか条件とか抜けてませんか?」いやいやいや、これはもうデジャブー。「いいえ。これでいいんです。もっと考えてみてください」「わかりました。忙しいけど興味わいてきたので、ちょっと頑張りますわ!」

 …森本先生、忙中閑あり。

 

 

 

 

全試合みてきた私の心境は どっちも勝て負けるな 本気で思った    (R5.11.1.)


 「僕、ビリだからね」

 先日の朝、小5の息子は私たちに期待をさせまいと、何度もそう言って小学校の運動会に出かけていった。徒競走の話だ。「そう言わずに頑張れ」と言いたかったが、実力差はいかんともしがたいようだった。… 毎日新聞夕刊「憂楽帳」10.27.(取違剛 記者)より

 運動会の朝、親子のシーンから始まる夕刊のコラムを読みました。

 「足が遅い」「運動が苦手」な子への配慮から「順位をつけない」「全員で一緒にゴールをする」小学校や、徒競走そのものを取りやめた学校もあるそうです。出場する種目を選択する三中の体育祭とは違い、一般的な小学校の運動会では50m走や100m走などの徒競走を同学年全員が走ることになり、レースごとに着順がはっきりするという現実があるからです。

 コラムでも、(お子さんの心情を察して)「徒競走がなくなるのもいいか…」と思われたとのこと。そして、運動会を見に行かれた時の話へと続きます。

 

 …ところが、レースは思いがけない展開になった。息子の前を走っていた2人が転んだのだ。次の瞬間、また驚かされた。息子が立ち止まり、転んだ子を抱き起こしたのである。抱き起こされた子たちは、そこから走っても息子には勝てたはずだが、こう言ったそうだ。「ありがとう、先にゴールして」。かくして息子は恐縮の体で4位フィニッシュした。

 順位は、時に過酷だ。ただ、息子たちは順位を懸けて真剣勝負をしたからこそ、素晴らしい思い出を得た。……

 

 私にも見えました。遅れながらも懸命に走っていた「息子さん」が、転ぶ子を見て自然に立ち止まるシーンがです。そして、その場に居合わせたすべての人の優しい笑顔もです。レースやコンクールといった勝負ごとへ「真剣さ」や「全力」で向かった先に、順位を超えたゴールがあるのかも知れません。

 朝、通用門に立っていると、校舎の方からいろんなクラスの合唱練習やパート練習の声が聞こえてきます。先日は2人の女性が歩道で立ち止まって、皆さんの歌声をしばらくのあいだ聞いておられました。分かりますよ。聞いてしまいますよね、立ち止まって。

 練習の歌声の中に感じる皆さんのいろんな気持ちや思い。それがクラスのハーモニーとなって三中を、秋の澄んだ空気を包んでいきます。そんなたくさんの真剣さに出会えるこの時期が私は大好きなんです。いつまでも続けって思うのです。

 2学期も折り返しです。11月は1年生の合唱コンクールから始まります。

 

 

 

 

歌声が自然に生まれるとき     (R5.10.2.)


 一瞬の沈黙のあと、「宣誓…」という言葉が大きく大きく伸びて広がっていく。4人の代表の凜とした表情。真っ直ぐに伸びた右手。そして、会場中の全員へこれからの行動を言明する。はっきりと、曇りなく宣言する。なんて格好いい。なんて素敵なのだ。一番近くでそれを聞きながら、私はそう思う。体育祭は成功する。そう思う。そう、確信した瞬間だった。

 

 2週間前には文化発表会がありました。生徒会執行部のパフォーマンスや1年生の紙芝居劇の舞台発表で始まりました。鑑賞主体ではなく発表主体の行事にしようと、文化「鑑賞会」の時からの文化系クラブの発表はもちろんですが、各学年の取り組みや思いをしっかり伝える構成に発展したのです。2年生の工夫された寸劇・群読。そしてビデオメッセージ。そのアイデアや展開は見事でした。感心しました。そして3年生。迫力のある群読。伝わってくる思い。(さすがだなぁ)と思っているところに始まった学年合唱は、いきなりのff(フォルティッシモ)。3年生が1つになって歌ってくる姿に、目が釘付けになり心は動かされました。体温が上がった気がする。(ほんと、まいった…) 感動するってこういうことなんですよね。

 体育祭の開会式でPTA会長が生徒会スローガン「ハイテンション」を体現する挨拶を行いました。生徒会長は講評の中で、BIGBOSSがよく口にする「へとへとになるまで」を使いました。選手宣誓だけでなく、執行部や委員会や担任の先生からもいろんな場面で小さなメッセージが放たれてきました。こうしてみんなが言葉を繋げていくことで、頑張ることや楽しみ方のイメージが共有されていったのです。正しく勝ちにこだわって最後まで諦めずに頑張れた皆さん。精一杯の声を出しながら本気で全力で応援合戦を楽しんだ皆さん。そんな皆さんを私は誇りに思います。そしてそれをしっかり支えて観戦・応援してくれた保護者や地域の方々を誇りに思っているのです。

 「閉会式の校旗降納の時に、生徒から自然に校歌を歌う声が生まれた。あれは生徒たちの充足感の表れなんですよ」(安田教頭)

 

 大きな2つの行事を終え、10月が始まります。気温や空気もようやく秋めいてきました。中間考査、合唱コンクールと続く2学期は充足感で満ち満ちたものになっていくことでしょう。バトンを繋げ、言葉を繋げ、いろいろなものを共有してくださいね。クラスの中で自然な歌声が生まれてくる素敵な場面がきっとあるはずですから。

 秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり…

 

 

 

 

九月の教室 蝉がじーんと 別れにくる     (R5.9.1.)


 夏休みの暑い日。家の近くの食品スーパーの駐輪場。年配の女性が自分の自転車を動かそうとして隣の自転車に触れたのか、まるでドミノ倒しのように次々と倒れていく。十数台。荷物を持った女性の困惑した表情と悲鳴のようなため息。私は倒れた自転車を1台ずつ立てていく。一人また一人、手伝う人が増えている。元通りになった自転車の列と女性のお礼の声が合図となって、私たちは解散する。動いた人も見ていた人も、誰もがほんの少しだけいい気分になる。

 そんなことがあった数日後に、あるコラムで「人助け指数」と呼ばれる国際調査があることを知りました。なんとなく(日本は上位だろう)と思いながら読んでみて驚くのです。2021年は114カ国中で最下位。2022年は119カ国中で118位ということでした。イギリスの慈善団体とアメリカの世論調査企業が実施しているこの調査は、1.『この1ヶ月の間に(助けを必要としている)見知らぬ人を助けたか』、2.『この1ヶ月の間に寄付をしたか』、3.『この1ヶ月の間にボランティアをしたか』という3つの質問について、国ごとの回答を集計したものなんです。日本は1.が118位、2.が103位、3.が83位となっています。1.の低さが意外であると同時にとても残念な気持ちにもなりました。(何でみんな、困っている人を助けへんの?)と思い、日常的に「人助け」ってどんなことがあるのか考えてみると、電車やバスで席を譲るとか、落とし物に気づいて拾って渡すとか…ぐらいしか思いつかなかったのです。もしかしたら、日本は他国よりも助けが必要な「見知らぬ人」と出会うことが少ないのかも知れません。そんなことも考えたりしたのです。

 2学期が始まりました。クラスや学年で取り組む文化的行事や体育的行事が続きます。一方で学習内容も難しくなり、理解・定着するのに時間がかかってしまうかも知れません。2学期は「へとへと」になるまで取り組めるクラスの団結力や実行力、諦めない力が問われます。と、私は言ってきました。それはそのまま繰り返します。もう1つ加えます。クラスには、歌うことが苦手な人もいれば、運動の苦手な人もいます。不器用な人、体力のない人、学習が苦手な人がいます。2学期は、数多くの「困っている身近な人」「助けが必要なクラスメイト」に出会うことになるはずです。そしてその時にあなたが「人助け」をできるのかどうか。あなたのクラスの「人助け指数」が問わることになるのではないでしょうか。そんなふうに考えるようになりました。

 目標を共有し、同じ時間と空間で「へとへと」を共有しながら、仲間の「困り」まで共有できるクラスって、充実感も共有できるけど、何よりもみんながいい気分になるよなぁって思うのです。

 

 

 

 

経験は思考から生まれ、思考は行動から生まれる     (R5.7.20.)


 野菜が嫌いだった私は小学校の給食が苦手でした。「いやいや」食べるので完食するのに時間がかかり、掃除が始まった教室で食べていたこともありました。「美味しくない」野菜がますます嫌いになっていったのを覚えています。

 先日、ふとしたことから與那城先生と「味」についての話になりました。「そうそう、5つの基本味、全部言えますか?」「まず、甘味ですね」「はい」「それから酸味」「はいはい」「え~っと…辛味…いや、辛味は痛みでしたよね」「すごい!さすがですね」…。少し前の新聞のコラムに「食べ物の味は、『甘味』『酸味』『塩味』『苦味』『旨味』の5つに分類され、それぞれ舌の味蕾という組織で感知している」とありました。私が小学生の時に読んだ少年ジャンプの「包丁人味平」というマンガでは「辛味」も入っていたんですが、現在では與那城先生の言うとおり、「辛味」は舌の味蕾で感知する味ではなく、舌の奥深くにある三叉(さんさ)神経の細胞で感じる「痛み」というのが通説になっているんですね。

 ところで、その新聞のコラム記事。「子どもの時に苦手だった食べ物や飲み物が大人になると好きになるのはなぜ?」について、「いろいろな味を経験することで、評価する味の幅が広がり、好みのばらつきが大きくなる」など、様々な実験や研究の説明がありました。なるほど。やっぱり経験しないとだめなんですね。「食わず嫌い」のままじゃぁ、変化はないということです。それと、もう一つ。本物と出会えたかどうか。もぎたてのトマト。採れたてのアスパラガス。うまく調理されたピーマン。本当に美味しい野菜やいろんな料理をしっかり食べていくたびに、確かに私の「苦手」がなくなっていきました。味わえる食材や料理がどんどん増えていったのです。

 夏休みが始まります。学習にもクラブにも友人関係でも「食わず嫌い」があるのだとしたら、克服するのは皆さんが「いろいろな味を経験すること」と「本物に出会うこと」ではないでしょうか。自由決定できる時間の中に、甘味だけでなく苦味や酸味、辛味さえもちりばめ、さらにそれを味わえるような、少しアグレッシブな夏を過ごして欲しいと思うのです。消極的に「いやいや」食べていたら、苦手の克服どころか掃除の時間が始まってしまいますよ。

 

 

 

 

過ぎていくスピードと思い出せるモノと      (R5.7.3.)


 「あっ((Apple)時計(Watch)してないわ)」。試合会場に向かう自動車()の中。左手首の日焼けしていない白い部分を見て気がつきました。

 大学生のときに「時計なんか持ってなくても困らんよ」と、笑顔で話す先輩がいました。「駅でも、梅田でも、どこでも…、時間の表示なんかいっぱいあるやん」。確かにそう。いろんなところに時計がある。「それに、そもそも時間なんか気にせずに過ごしたいんや。…かっこええやろ?」

 そんな何十年も前の話を思い出しました。

 6月が終わり、今年も半分が過ぎていきました。「早いなぁ」と感じます。1学期に皆さんと話をしていると、「楽しい時間は早く過ぎて、苦痛な時間は長く感じる」とか「集中しているとあっという間やけど、だらけていると長いわぁ」などを聞きました。「50分は長いけど1年は短い」なんて、哲学的なことを言う人までいてました。

 セントトーマス大学のアーロン・サケット教授が時間と意識について、「時間の経過について気にすればするほど(早く過ぎて欲しいと願うほど)、遅く感じるし、時間の経過を気にせずに取り組むときは、あっという間に時が過ぎたような感覚になる」と、実は皆さんと同じようなことを言っているのです。さらに、時間と記憶については、「ある期間のでき事を数多く思い出せる時ほど、その期間のことが長く感じられる。一年前のでき事について考えるとき、それが少し前かずいぶん前かに感じられるかは、当時と今のあいだでどれだけの『もの』と『こと』を思い出せるかだ」と説明されました。

 7月が始まり、夏休みまであと少しとなりました。あなたの1学期はどんなスピードだったのでしょうか。すごく集中して取り組んだ活動や楽しくて充実した行事はあっという間に過ぎていったことでしょう。大切なのは、そんな毎日の積み重ねをしっかり振り返りながら、仲間や家族や先生と一緒に言葉にしていくことではないでしょうか。「あっという間に過ぎていった日々」が、たくさんの思い出がつながる「長く感じられる期間」になっていくなんて、素敵やなぁと思うのです。

 すべての応援を終えて試合会場から帰宅しました。晩ご飯の前に風呂に入ると左手首がひりひりする…。白い部分が赤く日焼けしていました。あっという間に。

 

 

 

 

三中生私設応援団 団長のひとり言     (R5.6.1.)


 平年よりずいぶん早い梅雨が始まる直前の土日のことです。

 土曜日は男女バスケットボール部の応援に五中へ行きました。2日間のクラブ祭の初日です。応援席には、保護者も来られています。コロナ禍でのいろいろな制限が緩和され、以前の活気ある「試合会場」が戻ってきている実感がありました。

 女子の第一試合が始まりました。相手の私立中学校のチームが凄い。素早い移動、正確なパスとシュート、的確な判断力。圧倒してくる「強さ」は緩まることがなく、油断することもない。応援している三中が点差を広げられていく悔しさを持ちながらも一方で、驕りのない態度でプレーを続ける相手へのリスペクトを感じているのでした。

 日曜日。まずは大阪市の軟式野球チームに所属する3年生の応援に淀川河川敷の野球グラウンドへ行きました。チャンスの場面で彼が三振に倒れます。でも、その時の仲間が温かい。声がけが優しい。さすが、春休みに全国大会へ出場したチームだなぁと思いました。チームの勝利を見届けたあと、阪神高速を利用して堺市の原池公園野球場へ移動。今度は、摂津市の硬式野球チームに所属する3年生の応援です。5回の表ツーアウトから三中生が代打で登場してきました。残念ながら、三振に倒れてしまうのですが、そのあと、チームは大差で勝つことになります…。

 試合に負ける悔しさ。活躍できなかった悔しさ。そして、出場できなかった悔しさ。土日の2日間に皆さんの仲間のそんな思いに触れました。ゴールを決めるシーンやタイムリーヒットを打つ場面だけでなく、挑戦し向かっていく姿や集中し覚悟を決めた表情に出会いたくて、これからも皆さんの応援に行こうと思います。歓喜の瞬間はもちろん夢破れた時でも、皆さんへ精一杯の拍手を送りたいと思っています。そして、それは部活や地域のクラブチームの試合だけではありません。勉強、テスト、委員会や学校行事。皆さんを応援したくなる場面は本当にたくさんあるのですから。

 

 月曜日の朝の正門で、登校したきたバスケットボール部の2年生と挨拶した後に 「負けたなぁ。悔しいなぁ」と声をかけると、

 「はい…。悔しいです。でも…」「…?」「2日間、楽しかったです…」と笑顔で応えてくれました。 負けた悔しささえもひっくるめて、バスケットボールをしていることが、部活のみんなと活動していることが楽しいと感じられるあなたは、もっともっとうまくなる。自信を持ってそう思うのです。

 6月が始まります。1学期も後半に入ります。がんばれ三中生!

 

 

 

 

楽しさの 生まれゆく風 薫るとき    (R5.5.1.)


 1年生が元気。登校してくる皆さんを正門で迎え、「おはよう」と声をかける。3年目になる私の日課ですが、昨年までと少し違うと感じるのが1年生からの挨拶の声の大きさと「明るさ」です。気持ちがいいから自然と笑顔になります。その笑顔のままで次の「おはよう」が言えます。ちょっと嬉しくなります。そして、(ああ、こういうことか…)と気づかされるのです。

 「挨拶しましょう」「挨拶は気持ちいい」「挨拶されたら気持ちいいでしょ」って言うけど、これまで自分は相手の人が気持ちいいなぁって感じてくれる挨拶をしていたのかどうか。1年生の自然な笑顔の挨拶に反省するのでした。

 2年生は嬉しそう。4階の教室から、大正川の上空を1000匹の鯉のぼりが泳いでいる景色を見ることができます。爽やかな晩春の空気。遠くまで続く青空。そして壮観な景色。4階まで昇るのは楽ではないでしょうが、どの学年よりも眺めのいい教室を手に入れた2年生は、同時に「後輩」も得ることとなりました。通学路で、廊下で、階段で。何よりも部活動で「先輩」になった実感を持っていることでしょう。屈託のない笑顔から、凜とした表情からそれが伺えます。でも、後輩に教えることは、自分が理解することよりはるかに難しい。だからこそ、うまくできたときは、楽しいし嬉しい。実は、私たち「先生」もそうなんです。日々、勉強しているんですよ。

 3年生が頼もしい。入学式での新入生に向けた生徒会長の挨拶は、途中で原稿を置き、熱情の伝わる言葉で熱く語りかけた。立会演説会で新会長候補者は、生徒が主体となって動きたいと言い、「緻密に丁寧にぬかりなく」と続けた。そんな話しぶりが、立ち居振る舞いが、言葉の使い方が、参考になった。勉強になったんです。

 授業中の表情も休み時間の表情も、BIGBOSS ROOMを訪れる時の表情も大人になりました。空気の乱し方と整え方をわきまえている。3年生の皆さんは気づいていないでしょうが、登校してくる姿にさえ、最上級生の風格を感じさせるようになったんですよ。

 挨拶の語源に、「人と人が出会い、お互いに心を開いて相手にせまっていくこと」というのがあります。4月に三中という会場でみんなが出会いました。ここに関わるみんなが、関心を持ってコミュニケーションをとり、心を開いて接しながら一緒に学校づくりを進めていければいいなぁと思っています。

 風薫る5月を迎えます。楽しい時間が、充実した取り組みが…。期待感は膨らむいっぽうです。

 

 

 

 

はらり、僕ら もう声も忘れて 瞬きさえ億劫    (R5.4.11.)


 修了式に満開を迎えた校内の桜。3月の終わりにはたくさんの花びらが舞うようになりました。三中に来るたびに散っていく花びら。「ただ花が降るだけ晴れり 今、春吹雪」とヨルシカの曲が流れてくるようでした。そして風が吹くたびに「まさに 春泥棒」となってたんです。

 桜は散っていくものの、パンジーやビオラやノースポールは満開です。春爛漫の穏やかな日に全校生徒参加の入学式と始業式を行いました。130名の新しい仲間を加えた第三中学校の令和5年度はスタートしたのです。

 学年の数字が1つ大きくなっただけなのですが、少し誇らしげで少し照れくさい皆さんの表情。季節の初め、学期の初めがもたらせる期待感と高揚感があります。それは皆さんだけでなく、私たち教職員も同じです。そんな思いや感情を持って新年度は始まるのです。春という季節がそれを後押しもしています。

 今年度も第三中学校は「みんなが安心して背伸びができる学校」をめざします。生徒も教職員も安心してチャレンジができる。現状に簡単に満足してしまうのではなく、あと少しの背伸びに挑戦する。そんな風土にしたいのです。「もっとうまくなりたい」「もっと知りたい」「もっと成績を良くしたい」そんな熱意が広がっていく…「いい学級を作りたい」「分かりやすい授業をしたい」「強いチームを作りたい」そんな思いが共有される学校です。そのための時間を用意します。そのための空間を用意します。そしてそこには、チャレンジが失敗しても受け止めてくれる仲間がいます。

 「あと少し」「もう少し」の背伸びが作る達成感を一緒に味わおうではありませんか!へとへとになるまで取り組んだ先にある充実感を仲間と一緒につかみ取ろうではありませんか!ともに創り上げていく時間を一瞬たりとも逃したくない。「瞬きさえ億劫」と感じようではありませんか!

 新学期は出会いの時です。新しい先生、新しい友達、新しい勉強との出会いがあります。新しいことには自然と興味がわいてきますが、関心を持っていないとそのまま通り過ぎていくことがあります。相手の思いを知ろうとするのか、相手の気持ちを考えてみるのか…。友達の変化に気づくことができるのか、関わりをしっかり持とうとするのか…。4月はいろいろなことに出会います。それはチャンスであります。チャンスをいかせるかどうか、それは皆さんの心の持ち方にかかっているのです。

 保護者の皆様、地域の皆様、今年度もご協力・ご支援をよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

光の春から音の春へ     (R5.3.1.)


 年齢を重ねるごとに時間の流れが速くなっていくと言われます。フランスの哲学者ジャネーは、「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例する」という法則を19世紀に発案しました。14歳の子どもの1年は14年間のうちの1年(1/14)です。一方、56歳の1年は56年間のうちの1年(1/56)となります。14歳の1年に比べて、56歳の1年は「4倍速く感じる」というものです。

 令和4年度もいよいよ3月を残すのみ。皆さんにとってこの1年は、どんなスピードだったのでしょうか。

 3学期が始まった頃と比べると、ずいぶんと日の出が早くなり日没は遅くなってきました。太陽の出ている時間が長くなってくると、寒い中でも日差しが強くなっているので日中の明るさが増していきます。これを「光りの春」と呼ぶそうです。春は毎年、まず光からやって来ます。そしてその後に「音の春」がやって来るのです。

 3月6日は、「啓蟄(けいちつ)」です。二十四節季の1つである啓蟄とは、「虫が冬眠から目覚めて活動を始める頃」という意味があります。虫が動き出すと、それを補食する小動物も冬眠から目覚めて動き始めます。雪解けの小川のせせらぎ、水の音。ウグイスの囀り、木の葉の音。賑やかになっていくのは、野山だけではありません。大正川や平和公園、市場池や明和池公園。そんな皆さんの自宅の近くでも朝早くから小鳥の歌声が聞こえるようになります。まさに「音の春」の到来です。そしてまた、6日は3年生が体育館で卒業式の練習を始める日です。三中にも「卒業の音」が聞こえるようになります。「卒業の声」「卒業の歌」が響き渡るようになります。三中の「音の春」がここから始まるのです。

 廊下や階段ではスイセンが咲いています。ヒヤシンスやチューリップも大きく膨らんで「光の春」が来ていることを知らせています。今月14日には139人の3年生が「卒業生」となります。卒業生の皆さんと保護者の皆様に心からお祝い申し上げるとともに、子どもたちへの指導・支援に関わってくださった多くの方々へ厚くお礼申し上げます。また、1・2年生も1年間の総まとめに取り組んでおります。卒業や進級への大切な残り数週間、ご協力・ご支援のほどよろしくお願いいたします。そして「音の春」をともに迎えましょう。

 

 

 

 

言葉を増やしていく楽しさを      (R5.2.1.)


 1月の終わり。三中にも雪が積もりました。早朝の誰もいないテニスコートから写真を撮りました。真っ白なグラウンドと朝陽に照らされる校舎。

 …違う。真っ白じゃない。この色は「白」ではない。灰色や青色がかった感じ…。調べてみると、ちゃんとそうした「色」がありました。「雪色(せっしょく)」というのですね。単純な「白」よりも冷たくて寒々しい感じがする色です。そうです。その日の三中は雪色のグラウンドだったのです。

 しっかりとした「冬」がやってきました。廊下や階段に置いてあった観葉植物を避難させました。こうなると不思議なもので、急に春が待ち遠しくなってきました。

 3年生はそれぞれの「春」を迎えるために、いよいよ最終段階に入ることとなります。2月からは3年生全員を対象とした面接練習(集団面接)も始まります。昨年、面接者の緊張をほぐすために「今の気持ちを色に例えると何色ですか?」と聞いたことがあります。「青です」「どうしてですか?」「緊張しているからです。不安を表す青が浮かびました」とか、「赤です。やる気に満ちあふれているので、赤の感じです」などが聞けました。まず結論をしっかり述べ、後から理由を付け加える。面接のセオリー通りの回答ができていて、ウォーミングアップになったようでした。

 手元には、色を調べるのに使った「日本の色手帳(日本色彩学会 監修)」があります。1000色以上ある日本の伝統色のうち、草木や空や水、動植物などに由来する240色ほどが紹介されています。ふと、思いました。面接官に聞かれた時に、「天色(あまいろ)です。晴れ渡った澄んだ空のようだからです」なんて答えられたら格好いいやろうな。「雨上がりの植物の葉のような、濡葉色(ぬれはいろ)です。いきいきとしています」とかね。

 言葉が増えると表現する力や伝える力が向上するということは間違いないでしょう。でも、むしろ、表現したい時や伝えたい時にこそ、言葉を探して言葉を発見して欲しいと思うのです。自分の感じた色は音は味は、その言葉で表していいのか、もっと適した言葉はないのか。自分の気持ちを表す形容詞や形容動詞は、使い慣れたその言葉なのか、もっとしっくりいく言葉はないのか…。こうして手にする「語彙力」は、もちろん受験にも「使える学力」となっていきますからね。

 ところで、国語辞典を編纂するときなどは、誰もが普通に使う(誰もが知っているだろう)単語の方が説明するのが難しくなります。映画化もされた「舟を編む(三浦しをん)」の中で、「右という言葉を説明できるかい」と問いかける場面があります(ネタバレになるので続きは省略します)が、同じように「色ってなに?」と聞かれたら、皆さんならどう説明しますか。「色」という言葉をどう説明しますか。ネットなんか参照しないで、ここは自分でじっくり考えてみてくださいね。

 2月4日は立春です。明け方の空は曙色。

 

 

 

 

きみがそこにいる      (R5.1.10.)


 明けましておめでとうございます。保護者の皆様、地域の皆様におかれましては、清々しい新春をお迎えのことと存じます。旧年中は、本校教育活動へご理解・ご協力いただき、心よりお礼申し上げます。生徒の皆さん、充実しつつもゆったりと寛ぐ冬休みを過ごすことはできましたか。3学期が始まりました。

    * * *

 「なあ、あの大きな木やけど」「そう。神々しいよなぁ」

 鶴見緑地。森の中の結婚式場。祭壇の正面に神秘的にそびえ立つラクウショウの大木。参列者の2人がそれを見上げて会話する。聞いていても自然と心地よくなる…。

 こんな会話が大切だということ。ある日の新聞の夕刊の特集を読んでいたらそんな解説がありました。冒頭の会話は、本来なら通じないはずです。主語がないし、文章も終わっていません。でも、式場で大きな木を見上げた者同士の気持ちが寄り添うことで、共に話をつくり合っているんですね。そして、ちゃんと通じ合う。「対話」ではない「共話」という概念のコミュニケーションがそこにあります。「主語もなく自分と他人との境界線が曖昧で、会話の成立を他人に委ねていて情緒的だから議論には向かない」「でも、そこにはぬるま湯的な安心感がある」と早稲田大学のドミニク・チェン教授が語ります。「なるほど」となる。大切なのは生み出される安心感なんですね。

 育ってきた環境も違うし価値観も異なる。そんな人が集まった「クラス」の最後の3ヶ月です。好き嫌いも違うし、得手不得手も異なる。話せば話すほど分かることは、他人と自分とは違うっていうこと。(授業の中では分かりやすく論理的に話す「対話」が大切ですが)だからこそ、クラスの中で、ゆったりとした雰囲気の中で「安心しまくって」「ダラリとして」話す「共話」が大切なのかも知れません。分かり合えない部分があることや意見が異なることは「溝」ではなく、むしろ「出会い」です。相手の気持ちに寄り添いながら、視線の先を共有しながら、心地のいい会話をつくり合えたら素敵だなぁと思うのです。クラスをそういう場所にして欲しいと思うのです。

 ひとは自分の心でしか、相手を理解できないもの。心の空想だから、相手の像は誤解だらけかも知れない。でもそれでいい。誤解に責任を持つ。むしろ好意的に誤解する。(大林宣彦:映画監督)

 

 

 

 

シクラメンのかほり     (R4.12.23.)


 中学生のとき。神戸に住む伯父さんから、お古のギターをもらった。JR六甲道からギターを持って電車に乗った自分が無敵のような気がした。本屋で「フォークギター入門」を買ってきて最初に練習したのが「さらば青春(小椋佳 作詞作曲)」。この曲を選んだのは、GとEmとAmとD7の簡単な4つのコードを覚えるだけで弾くことができるという理由が大きい。本当は、ちょっと格好いい前奏や間奏のところに5つ目のコードであるF#が出てくるのだが、これが初心者には押さえにくくて難しい…

 皆さんのクラスへ小さな鉢植えシクラメンをプレゼントしたのは、2学期も半ばの11月のことです。秋から冬へと季節が変わる頃にフラワーショップの店頭に一斉に並ぶので、ついつい校内にも置きたくなって、買ってしまいます。サクラソウ科で地中海沿岸が原産のシクラメン。今年はせっかくなので、「縦割りクラス」で色を揃えてみました。

#1組はピンク。花言葉は「憧れ」「希望」 #2組は白。花言葉は「思いやり」「純粋」

#3組は紫。花言葉は「想いが響き合う」 #4組は赤。花言葉は「愛情」「きずな」

日当たりと室温、水加減に花がら摘み。育てるポイントです。1月にコンクールとして、最もうまく育てているクラスを表彰するつもり(副賞もあるよ)です。3月まで咲き続けるので、今のクラスの一員として付き合って欲しいと思います。

 ところで、(園芸品種の)シクラメンには香りがほとんどありません。小椋 佳 が歌手の布施明に提供し、大ヒットした「シクラメンのかほり」の歌のイメージがあるからなのか、いい香りがすると思っている人は多いようです。

 明日から17日間の冬休みが始まります。年末年始の数日は、学期中とは違った時間の進み方になるでしょう。大晦日や元日であっても、受験勉強や素振りやトレーニングするなど、これまでには経験したことのない過ごし方をすることで、「無敵になる実感」を味わえるかも知れません。叶えたい夢のかけらを手にすることで、「無敵の自分」をイメージするかも知れませんね。加えて1年の終わりには、親や家族への「ありがとう」を忘れずに。冬休みも、頑張れ、頑張れ。三中生!

 

 

 

 

変わっていく三中 変えていく三中生    (R4.12.1.)


 体育館にエアコンの室内機9台の設置が完了しました。稼動するまでには、体育館外部の工事や調整がもう少し必要なようですが、皆さんが体育館で「エアコンを実感」できる日が近づいています。「卒業式は暖かい体育館で。夏の部活を涼しい体育館で」なんてことが、三中の当たり前になっていくんですね。時代とともに学校設備も変わっていきます。

 社会や環境が大きく変化していく中でも、しっかり対応して活躍できる力。それを獲得することが三中の教育目標です。課題を発見する能力と感性、仲間とともに解決していく実行力・協調性。それらを先生方や保護者、地域の方々と一緒に育んでいこうということなんです。

 12月です。長かった2学期も残りは3週間余りとなりました。

 9月1日は雨でした。下足場(生徒玄関)に設置された「傘立て」に雨で濡れた傘が置かれています。1学期までの三中には無かったこの風景。いつの頃からか「傘立て」が下足場ではなく、教室の前の廊下に置かれていました。そんな「安心できないことを示すような」習慣って「嫌!」と、評議委員会が声をあげました。この日、三中の日常の1つが気持ちのいい景色に替わったのを覚えています。

 10月13日は中間考査の1日目。前日までに摂津市・茨木市・高槻市・吹田市・東淀川区のホームセンターから買い集めた棚用ボードや汎用の板が木工室に運び込まれていました。校務員さんが電動ノコで切断したものを午後からはA棟3階の教室へ運び込み、先生方による「3年生の教室のロッカー増設」工事が始まったのです。翌日の朝、3年生のロッカーに一人ずつの荷物が入りました。評議委員会の要望が現実になった瞬間でした。

 11月4日の校内合唱コンクール。最優秀賞の発表でコールされた3年4組から歓声があがる。これは学年コンクールと同じ風景。でも少し違ったのは、喜びながら泣いている人たちがいたってこと。それと入賞しなかったクラスで声も出さずに泣いている人が少なからずいたってこと。これは昨年にはなかった風景。どちらも目に焼き付いた。胸が熱くなった。

 課題を発見する三中生と先生。解決するために動き出す三中生と先生。仲間と一緒に取り組む三中生と先生。おかげで2学期に「変わっていく三中」「新しい三中」とたくさん出会えました。「三中生は、何でもそつなく無難にこなすけど、こぢんまりと収まっている。時には殻を打ち破るようなエネルギーを感じさせて欲しい」と、始業式で伝えた私のメッセージと期待を遙かに超えてきた、三中生の(そして先生方の)「へとへとになるまで取り組む気迫」や「正しく勝負にこだわる気概」がそこにありました。そして2学期をとおして学校全体を牽引してきた3年生の矜持を、頼もしく頼もしく思うのでした。

 さすがですね。(にこり) 恐れ入りました。(ぺこり)

 

 

 

 

2学期の折り返しの「余談ですが…」    (R4.11.1.)


 月曜日が1年生、火曜日が2年生、そして3年生が水曜日。今週は合唱コンクールの週です。コンクールウイーク…と書きかけてやめました。「コンクール」がフランス語だったのに気づいたからです。(「ウイーク」と同じように)英語にすると「コンテスト」ですよね。すっかり日本語になっているとはいえ、フランス語と英語の混在はまずいかなと。

 …BIGBOSS ROOM前廊下に掲示してある吹奏楽部の表彰状には、「アンサンブル コンテスト」って書いています。仏英「混在」やんかと思ったんですが、フランス語の「アンサンブル」は、英語でも同じ「アンサンブル」なんですね…。知らんかった。

 私の弟が長野市で就職し、長野県(篠ノ井市、茅野市、他)で生活することになってから数十年。秋晴れの気持ちのいい日曜日。弟の長女(私の姪)が松本市の洒落た式場でキリスト教式の結婚式を挙げました。参列した私は、牧師さんの言うとおりに「アーメン」と何回か呟きました。突然、「アーメンって何や?どういう意味や?」と思い、後でネットで調べてみると…。ヘブライ語で「まことに」「たしかに」「その通りです」の意とあり、「それな」とか「それや。ホンマそれ」とデフォルメしている方もいました。なるほど。

 帰り道は、日本シリーズの7戦目を聞きながら運転していました。数日前に京セラドームで、「バファローズもスワローズもファンは上品や」と感じた私はタイガースファンです。チャンスの時は「ワッショイ ワッショイ」と叫んだものです。あれっ?「わっしょい」って何や?どういう意味や?…。「わっしょい」の語源には諸説があるようですが、「和を背負う」というのがあり、いいなぁと思いました。

「なるほど」とか「いいなぁ」と思うと同時に、どうしてこれまで聞いたり考えたり調べたりしなかったのかを恥じました。何も考えずに流していたんですね。考えるのをやめていた。これは「無関心」です。つまり「愛」の反対。人や出来事だけでなく、言葉や文字に対しても興味を持って接していかないといけない。そう思いました。だから、合唱コンクールの当日は皆さんの歌声だけではなく、合唱曲のタイトルの意味や歌詞についてもしっかり考えておきますね。

 11月です。BIGBOSS ROOMのカレンダーは2ヶ月セットなので最後の1枚になりました。令和4年も残りは1/6です。でもね、2学期はまだ折り返しです。あと半分も残っています。前の走者の後ろ姿や自分の足下だけを見て走るのではなく、少しずつ変わっていく景色や沿道で応援する人の姿をしっかり見てください。感じたり考えたり悩んだりすることは、「関心」を持っているということです。あと半分、楽しみながら走りましょう。

 

 

 

疾風迅雷の勢いで駆け抜ける     (R4.10.3)


 土で汚れた体操服。それは、全力で200mを駆け抜けたあと、グラウンドに倒れ込んだ証。800mリレーの着順発表とプログラム終了のアナウンスで、汚れた体操服の選手が立ち上がり、よろよろと歩き出す。それがスローモーションのような映像で、映画を観ているような感覚が生まれる。退場門のあたりで、応援席テントから拍手が始まる。「ああ、いいなぁ」と幸せな気持ちになる…。

 文化鑑賞会から2週間。気がつけば空は高くなり、うろこ雲が敷き詰められています。季節は「豊の秋」となりました。稲がしっかりと実をつけ、日差しに輝く稲穂はまさに黄金色です。残念ながら三中の周りには田が少ないのですが、秋の風景の1つとして心を落ち着かせてくれるのです。47回目の体育祭は、そんな秋の空気を感じる中で、「疾風迅雷」のスローガンとともに行われました。

 私は常々、行事や部活動での試合や競技など「勝ち・負け」があるものについては、「勝ちにこだわる」ことが大切だと思っています。「勝ちにこだわる」ことは「勝利至上主義」や「敗者への批判」などのリスクがあると指摘する人もいるかも知れません。だからこそ、「正しく」こだわって欲しいと思っています。一人ひとりが「最後まで諦めない」「全力を出し切る」というプロセスこそが、勝ちにこだわる正しい姿勢を表しているのではないでしょうか。「勝ちにこだわる」とは、リレーの前走者たちの頑張りを受け止めて、自分の全力をつなげていくこと、それまでのチームの合計点数に自分の全力を重ねていくことだと思います。そうして、クラスや学年は強い集団になっていくと思うのです。

 最後のプログラムである「クラス対抗全員リレー」で3年生が入場してくるときに、大きな拍手が起こりました。とても自然に。そしてそれは体育祭を締めくくるにふさわしい緊張感を作り出し、会場にいる全員が注目する中で始まりました。競技中の他学年からの声援の大きさは、同じ色のTシャツからくる一体感がそうさせるのか…。そしてそれは、諦めない走り方や見事なバトンパスを見るたびにさらに大きくなった気がしました。3年生の正しい「勝ちへのこだわり」が1・2年生へ間違いなく伝わりました。伝えるとは、つなげるということです。三中の素晴らしい伝統と新しい力強さが後輩たちへとしっかりバトンパスされた瞬間だったのです。

 10月が始まりました。正しく勝ちにこだわって、2学期を疾風迅雷の勢いで駆け抜けたとき、皆さん一人ひとりに黄金色のメダルがちゃんと届くはずです。

 

 

 

 

へとへとになるまでやってみる     (R4.9.1.)


 42.195キロメートルのフルマラソンは3回、スイム・バイク・ラン3種目で51.5キロメートルのトライアスロンは5回、それぞれ出場し完走しました。つま先と足の付け根が痛い。足が腫れて靴が脱げない。疲れた、しんどい。でも、そうじゃない。そんなもんじゃない。

 …枚方市の中学校で3年の担任をした1学期の話です。GWが明けるとすぐに体育祭、1週間後に中間考査、1週間後に修学旅行というハードな日程でした。私の白団は、「今までになかった応援をやろう」と、女子のチアダンスと男子のアクロバットに加え、オールブラックス(ラグビーニュージーランド代表)の「ハカ」、日本体育大学の「エッサッサ」を演じることになりましたが、ネットにアップされている動画もほとんどなかった頃です。放課後の部活も行いながら、隙間時間に応援団と一緒に調べて練習して、それを白団の生徒全員へ指導していく日々。「へとへとやわ」と言うと、「僕らもへとへとですよ(笑)」と言われました。

 さらに、修学旅行のバスレク係とは、「今までにないバスレクビデオを作ろう。いっそ、映画を作ってしまおう」と、ターミーネーター、タイタニック、謎の転校生のパロディ3本立てを作ることになって、ストーリーや脚本の相談とカメラワークや演出をする日々。疲れがたまってくると、職員室から教室へ歩くだけでしんどかった。教室で「ほんま、しんどいわ」と言うと、「もうちょっとですから…最後まで頑張りましょう」と励まされました。

 

 …数年前、ある中学校の3年生の合唱コンクールを参観した時の話です。課題曲と自由曲の発表。5クラスともすごく完成度が高く、さらに「優勝したい」という気持ちもしっかり伝わってくるものでした。相当練習したんやろうな。合唱コンへ向けたクラスの取り組み方が伝統になっているんやろうな。そう感じていました。

 終了後、体育館から教室へ向かう廊下で私の前の2人の女子が話します。「負けたなぁ」「うん…」「でも、やれることやったから…」「やったなぁ。むっちゃ練習したなぁ」「せやから、ええねん。仕方ないわ。精一杯やったって、うちら」「そうやんなぁ。しんどい時もあったけど、うちらのクラス、よー頑張った(笑)」「(笑)今、なんかサイコーやわ」「勝ち負けなんか、関係ない気分や」「そうそう」「…せやのに、なんで涙が出てくるんやろう」「…」

 いいクラスやな。いい学校やな。…羨ましいなぁと思いました。

 

 行事の多い2学期です。クラスで取り組むことがたくさんあります。1人じゃないから時間がかかるかも知れない。勉強や部活や習い事もあるから時間配分が難しいかも知れない。でも、今のクラスでやれることを全部やって欲しい。今までとは違うことに挑戦して欲しい。「へとへとに」なるまで取り組んだ先に、仲間と一緒に味わえる最高の充実感と達成感が待っています。そして、それはいつまで経っても忘れることのない思い出の共有となります。

 最後まで頑張れ、三中生。「へとへと」を超えていこう。

 

 

 

 

気持ちのいい音を探してみる夏     (R4.7.20)


 あることの考えがまとまらず、放課後の体育館へ行きました。

 バスケットボール部が活動しています。コートから聞こえてくるのはシューズとフロアーの摩擦音。キュッキュッキュッ。機敏な動きの部員、ドリブルされるボールのバウンド音、バックボードとリングの音。ゴール。(あぁ、今日は音が良く聞こえる。エネルギーを感じる音で元気づけられてるなぁ…)って思う私。

21世紀に残したい、大切にしたい、「大阪の音風景」を一般公募から大阪府が63件を選定し、「OSAKA SOUND MAP」として発行しているのを皆さんは知っていますか。「箕面勝尾寺の鐘の音」「摂津峡のひぐらし・かじかの声」「和泉葛城山の滝の音」などの爽やかさや癒やしなどを感じる音。「だんじり祭りの囃子」「水都祭の花火」などの非日常の音。「千林商店街のテーマソング」などの人の息吹やエネルギーを感じる音。それらが地図上にまとめられています。

 三中から一番近いのは東淀川区の豊里のヨシ原(淀川の河川敷)で、タイトルは「燕のねぐら入りとねぐら立ちの声」です。春に南方から渡ってきて、繁殖を終えたツバメは「集団ねぐら」を形成します。豊里のヨシ原では夏の間、2万羽を超えるツバメが日没に集まって眠りにつき、日の出前に一斉に飛び立つ目覚めの声が毎日繰り返されるとのこと。圧巻でしょうね。その風景と音を今年の夏にはぜひ体感したいと思っています。

中学生としての夏休みが始まります。皆さんが過ごす場所・活動する空間には、人がいてプログラムがあり、それらは感情や感覚や天候や気温とあわせて記憶されていくことでしょう。でも今年は、それに加えて「音」を意識して欲しいと思うのです。蝉の声や鳥の声、雨の音や風の音、靴の音やボールの音。今まで意識してこなかったものがしっかり聞こえてくると、風景だったものが音風景に変わります。夏のグラウンドやテニスコート、体育館やプール、教室などの場所には、「活力音」があるに違いありません。皆さんの夏休み中の日常や非日常には、「快適音」があるかも知れません。そして、皆さんが体感した三中の大切にしたい音や残したい音風景が、私たちみんなで共有されることになっていくと、これから先の三中生に語り継がれていくようになると、なんだか素敵だとは思いませんか。…なんて思うのです。

 

 

 

早い早い夏の訪れに     (R4.7.1.)


 毎年のことです。

 7月のある日の朝、前日よりも少し強い日差しと一斉に鳴きだした蝉の声を浴びながら、「あっ梅雨が明けたな」と感じる瞬間があります。雨に打たれることを好まない蝉が待ち望む梅雨明けの日。「その日」が来たことを歓喜しているような、エネルギーに満ちあふれた大きな声が晴天の朝に鳴り響きます。そして見上げると夏の空が広がっているのです。

 6月中旬の梅雨入り前の日、数学科の上原先生と素数について議論することがありました。「そもそも、素数を勉強する理由はなんやろ?」「最大公約数・最小公倍数を考える時に有効ですよね。平方根の学習でも利用できるし」「それって素因数分解を活用するっていうことやね」「素数を知っておかないと、素因数分解もできないし」「学習前に子どもたちが素数の存在っていうか、素数を意識することってあるんかな」…

 議論は続いて、素数を学ぶ意義を自覚する教材の話になりました。「素数個入りのお菓子をお土産にもらったらどう思うかな。これ友達と分けてって言われたら」「北米には素数ゼミっていう蝉がいますよね」…。ここでもやっぱり蝉か。

 例年の梅雨は6月から7月の中旬まで40日ほどあります。この時期の雨には、夏場の「水源」の確保・野菜の生長・防塵や汚れ落としといった意義もありますし、リラックス効果や集中力向上などのメリットもあると言われています。外で活動できない日が多くなりますが、やがて来る夏に向けての準備期間でもある…。そんなことを考えていたら、いきなり梅雨明けが宣言されてしまいました。未だ地中の蝉が「その日」に気がついていないのではないかと心配しています。地上に現れ鳴き出す日をどうやって決めるのか気になるところです。

 さて、皆さんは1ヶ月早くなった「夏」の到来をどう受け止めますか。運動部や校外のスポーツクラブに所属する人なら、昨年の先輩以上の活動日をもらえるだろうということです。一方で、身体は早すぎる夏についていけないのかも知れません。いかに対応するか。何万年もかけて対応してきた蝉と皆さんが違うのは、情報を収集してじっくり考えることで一両日のうちに対応できる力があるということです。それは「期待される三中生の姿」の1つ、「たくましく しなやかな三中生になろう」でもあるのです。

 7月が始まります。充実した夏休みになるかどうかは、実はこの時期の過ごし方に大きく起因しているのです。皆さんの「変化に対応する力」が問われています。もっともっと。頑張れ三中生。

 

 

 

三中の階段のなぞ (「ブラタモリ」風に)    (R4.6.1)


その1 「踊り場までの段数違い」

 森本先生と2人で、40インチのテレビをB棟の1階から2階へ運ぶこととなりました。台車付きラックにセットしたままなので非常に重いのです。ヒーヒー言いながら踊り場で休憩。あと半分。あれっ半分じゃない…? 1階から2階まで21段あるのですが、最初に14段。踊り場で向きが変わって残り7段。なんでこんな段数の分け方なのでしょう。2階から3階(3階から4階)は、21段を11段と10段に分けています。だいたい踊り場は階段の真ん中あたりのところにあります。それが普通だと思うので1階から2階の階段が特殊な分け方なんですね。さて、皆さんは理由が分かりますか?

その2 「渡り廊下がスロープに」

 A棟の2階からB棟へ渡り廊下を進み、そのままC棟への渡り廊下を進んでいくと、あれれれ…? 渡り廊下がゆるい上りのスロープになっています。C棟の廊下の方が高い位置にあるんですね。3階の渡り廊下はさらに角度が大きくなり、4階の渡り廊下(今は通行禁止)はもっと急なスロープになっています。そこで、C棟の階段を調べました。B棟よりも段数が多いのです。1階から2階は24段。2階から3階と3階から4階は22段です。さらに調べるとA棟とB棟の1階は地面より2段高く、C棟はほぼフラットでした。まとめると次のようになっています。

1階:C棟がA・B棟より2段低い

2階:C棟がA・B棟より1段高い

3階:C棟がA・B棟より2段高い

4階:C棟がA・B棟より3段高い

 さて、こうなっている理由が皆さんには分かりますか?

 

 1学期の折り返しの6月が始まります。雨の日は校舎内をゆっくり歩いてブラ○○○してみませんか? 「三中に来客用玄関が無いのはなぜ」「C棟のトイレは便器が多すぎないか」…もちろん建物だけではありません。掲示物や置いてあるもの、風景や雰囲気、そして校則・ルール・慣習。通り過ぎるだけの3年間ではなく、疑問を持ち、考え、再発見して欲しいと思うのです。「気づかんかったわ。考えんかったわ」の時よりも、濃い時間になるはずです。そうして主体的な三中生として、校舎にさえ、愛着を持って欲しいんですよ。

 

 

 

吹く風を心の友と     (R4.5.2)


 「紫雲英」ってどう読むか分かりますか? また、何のことか知っていますか? …正解は「げんげ」です。ちょうど今、田んぼに紅紫色の花が一面に咲いているでしょう。あの花です。花が一面に咲いているところが、雲がたなびくようなので「紫雲英」って名前がついたそうです。

 「あれっ?」「あれってレンゲじゃないの?」そう思った人はいますか。そうです。げんげの別名は蓮華草(れんげそう)です。花がハスの花の形に似ているからその名で呼ばれます。確かに標準和名は紫雲英(げんげ)ということですが、私たちは「れんげそう」や「レンゲ」が一般的なのではないでしょうか。

 ところが…。

 職員室でレンゲの写真を見せながら、この花の名前は?と聞いたところ、

A「シロツメクサ!」(いやいや、白くないし)「シロツメクサのピンクのやつ」(すでにシロちゃうし)

B「ハスですか?」(おっ、おしいおしい)「わかった!スイレンですね」(…土の上に咲いてるで)

 ちょっとアップ気味の写真がまずかったと思い、一面に咲いている「レンゲ畑」の写真を見せて聞くことにしました。

C「ケシですか?」(…ケシ畑ってちょっとやばくないか?) (←栽培が禁止されている種もあるので)

D「分かりません」(…)

 もちろん正解者もいましたが、4月終わりから5月にかけての「レンゲ畑」の風景を知らない人の多さに驚きました。先生方の育ってきた場所に田んぼがなかったのかも知れません。以前に勤めていた鳥飼西小学校の前の田んぼは、この時期は一面のレンゲ畑(げんげ田)でしたし、コロナ以前は6年生が1年生とレンゲ摘みをしていましたので、「誰でも知ってる」と思い込んでいたのですね。はたして、三中生と保護者の皆さんはどうなんでしょう。

 中原中也(1907年~1937年)のこんな詩があります。

 吹く風を心の友と 口笛に心まぎらわし 私がげんげ田を歩いていた十五の春は

煙のように、野羊(やぎ)のように、パルプのように、

 とんで行って、もう今頃は、どこか遠い別の世界で花咲いているであろうか

耳を澄ますと げんげの色のようにはじらいながら遠くに聞こえる …

 私は15歳のときに国語の教科書に載っていたこの詩を授業で読みました。感じるところがあったのか、すぐに中也の詩集を買ったのを覚えています。春が来て、レンゲ畑の景色を見ると必ずこの詩が浮かんできます。

 

 5月になります。今年の春は、皆さんにどんな記憶を刻んでいるのでしょうか。谷川俊太郎の作品でも、大正川の鯉のぼりでも、通学路のツツジでもいいのです。季節とともに、いくつになっても思い出される何かがあるって、ちょっといいものですよ。背を伸ばしたり、チャレンジしているシーンと重なっていると、思い出すたびに少し自分が好きになるかもです。

 

 

 

 

チャレンジを楽しめる時間と空間     (R4.4.1)


    さくらの花をとる時、みなさんはどうしますか。ちよつと、せいのびするでせう。

    木の上で鳴いてゐる蝉をとる時も、やはりせいのびするでせう。

    そして、さういふ時には、みなさんはたのしいでせう。

石川淳「少年少女讀物 渡邊崋山」より

 満開だった桜が吹く風に花びらを舞わせ、「清のふじ・それ池三中」※1 の水面が桜色になっています。パンジーやビオラが咲き乱れ、「市内の中学校で一番きれい」※2 と言わせる正門を演出しています。冬の間、BIGBOSS ROOM※3 に避難していた観葉植物と熱帯魚は、階段や廊下へ戻る用意が整いました。三中は春爛漫です。

 そんな生命エネルギーが満ちあふれる空間で、3年生が新入生を迎える入学式を行い、その後の始業式には2年生も合流し、全校で同じ時間を共有しました。135名の新しい仲間を加えた第三中学校の新年度がスタートしたのです。

 これから始まる令和4年度の第三中学校を、来年の3月に自慢できるものにしたい。私だけでなく、皆さんが自慢できるものであって欲しい。そう思っています。新しい学年の新しいクラスで新しい仲間と一緒に、希望や夢を語る4月にしようではありませんか。今年度、第三中学校が「みんなが安心して背伸びができる学校」になるように、取り組みや整備を進めていくことを先生方全員で決めました。そうなるように気持ちを揃えることにしたのです。「もっとうまくなりたい」「成績をもっと良くしたい」「いい人間関係を築くようになりたい」…皆さんだけではありません。「いい授業をしたい」「いい学級を作りたい」…先生も同じです。そのためには、少し高い目標に向けて背伸びしたり、ジャンプしてみようと思うような場づくりと失敗をおそれずに安心してチャレンジできる集団づくりが必要となるでしょう。他人任せでない、主体的で勇気のある一歩が大切となるでしょう。

 適度の背伸びにより、目標に手が届いた時にこそ、私たちは大きく成長します。自慢できる時間と空間が完成します。自慢できる仲間がそこにいます。そして、自慢できる自分自身に出会える3月を迎えることとなるのです。

     ※1 ふじ棚の横にある池の名前

     ※2 摂津市に住む 江口みき さんより(個人の感想です)

     ※3 旧名:校長室

 

 

 

 

Die größte menschliche Sünde ist launisch.     (R4.3.1)


 あなたの人生がつまらないと思うんなら、それはあなた自身がつまらなくしているんだぜ。という本(ひすいこたろう著)があります。面白くない出来事をそのままネガティブに捉えるか、それともポジティブに捉え直すか。どう解釈するかで、感情はいくらでもいい方向へ変化させることができるよ。という内容です。本のタイトルが斬新だし、何よりもそのセリフに共感しました。

 そんな時、ある研修会で講師の先生から「校長はいつも笑顔で機嫌よくしていなさい」と言われました。そして、ゲーテ(1749~1832、ドイツの文豪・科学者・政治家・法律家)の言葉「人間の最大の罪は不機嫌である」を紹介されました。何が大罪かというと、「不機嫌は伝染していく」からなんですね。誰かの「不機嫌」な表情や喋り方、言葉の使い方が誰かの「不機嫌」を生んでしまいます。自分のイライラを誰かにぶつけていませんか?それは誰かのイライラとなるのです。

 でも逆に言えば、ご機嫌も伝染していくはずです。嬉しそうにしている人、楽しそうに作業している人に影響されて自分も動き出すことがあります。上機嫌は周りをプラスに巻き込むんですね。なるほど、なるほど。大いに反省しました。怒りの連鎖・不機嫌の伝染をなくそうと思いました。同時に上機嫌を伝染させたいと思ったんですが、どうせならみんなでそうしたいなぁ。そんな学校っていいよなぁって考えています。

 3月です。三中の廊下や階段ではヒヤシンスが咲き、チューリップが大きく膨らんできました。今年もちゃんと春がやって来ましたね。今月11日には128人の3年生が「卒業生」となります。卒業生の皆さんと保護者の皆様に心からお祝い申し上げるとともに、子どもたちへの指導・支援に関わってくださった多くの方々へ厚くお礼申し上げます。また、1・2年生も1年間の総まとめに取り組んでおります。卒業や進級への大切な残り数週間、ご協力・ご支援のほどよろしくお願いいたします。

 

 

ことばは目の前で音もなく変わる     (R4.2.1)


 日本語学者で、「明解国語辞典」や「三省堂国語辞典」を作り上げた見坊豪紀氏(1914~1992)は、辞典の序文で以下のように言いました。

    辞書は、ことばを写す“鏡”である。同時に、辞書は、ことばを正す“鑑”である。

皆さんが日常的に使う言葉だけでなく、国語の授業で学ぶ語法や社会の授業で使う用語も、実は変わり続けているのです。もともとは誤った使い方だったものが、やがて「誤りではなくなる」ことは珍しくはありません。時代とともに変化する言葉は、まさに「音もなく変わる」ので、新語や流行語、変化した語法などに対応していくのが辞書です。

 同時に、辞書は誤りを正します。「見れる」「食べれる」などの「ら抜き言葉」は、今日この時点では正しくないのです。言葉の発生のしくみや文法の成り立ちなどをしっかり理解しておくと、正しい・正しくないがよく分かります。判官は「はんがん」ですが、判官贔屓は「はんがんびいき」ではなく、「ほうがんびいき」でないといけない理由があります。理由までを理解した時に、受験や定期考査対策の学習が本当の教養となっていくのです。

『冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。…』

枕草子の一節です。清少納言は「春は曙」「夏は夜」「秋は夕暮」そして、「冬は早朝がいい」と言います。「(冬の朝に)雪が降っている時や霜で辺りが白くなっている時、また、とても寒い朝に火を急いで起こして部屋まで持っていく様子」などに、風情があって趣があるということです。ネットには現代語訳が多く掲載されていますが、その中で「秀逸」だと思ったものを紹介しておきます。

 

   春は曙がヤバい。山の方の空の色合いとかマジでヤバい。

   夏は夜がヤバすぎる。ホタルが光ってんのとかマジパないし、

      雨が降ったりするのもなんかアレで超最高。

   秋は夕暮れがクッソヤバい。夕焼けに鳥が飛んでるのとか、虫の声とかガンガン心にクる。

   冬は早朝がとにかく神。

 

 原文の本質を理解していないと書けないだろうデフォルメではないでしょうか。言葉を使いこなしているからこそできるアレンジだと思うのです。

 言葉を軽視してSNSを利用すると、友達を失うことがあります。「そんなつもりじゃなかった」言葉により、相手の感情が音もなく変わっていきます。冷たい言葉に振り回されるのではなく、あたたかい言葉があたたかい心を育てるということも知っておいてください。

 2月4日は立春です。まもなく春がやって来ますよ。

 

 

 

目標がその日その日を支配する     (R4.1.11)


 明けましておめでとうございます。保護者の皆様、地域の皆様におかれましては、清々しい新春をお迎えのことと存じます。旧年中は、本校教育活動へご理解・ご協力いただき、心よりお礼申し上げます。生徒の皆さん、年末年始に「心泰身寧是歸處」を実感することはできましたか。充実しつつもゆったりと寛ぐ冬休みを過ごすことはできましたか。今日から3学期です。

 昨年の秋、松坂大輔投手がプロ野球を引退しました。春・夏の甲子園優勝、パ・リーグ優勝、日本シリーズ優勝、ワールドシリーズ優勝、ワールド・ベースボール・クラシック (WBC) 優勝を経験した「平成の怪物」の幕引きでした。彼が座右の銘としている「目標がその日その日を支配する」は横浜高校野球部時代の渡辺元智監督が与えた言葉として有名ですが、実はこの言葉は、「第一歩」という詩(社会教育家、後藤静香1884-1971)の一節なんですね。

       十里の旅の第一歩 百里の旅の第一歩

          同じ一歩でも覚悟がちがう

       三笠山に登る第一歩 富士山に登る第一歩

          同じ一歩でも覚悟がちがう

       どこまで行くつもりか どこまで登るつもりか

       目標がその日その日を支配する。

 「目標を立てることは大切ですよ」と、小学校の頃から聞いてきたと思います。おそらく何回も何回も「目標を立てて」きたのではないでしょうか。そして、見返すことも修正することもなく、いつのまにか忘れてしまっていたのではないでしょうか。大切なのは目標に見合う「覚悟」だと思います。自分はどこまで登るつもりなのかをハッキリさせ、そのための一歩を踏み出す覚悟をすることです。それによって1日1日の行動が変わるはずです。目標がその日その日を支配することになるのです。

 3学期は登校する日が50日ほどしかない短い期間ではありますが、1年間の学習・成長のまとめをするとともに4月からの新しいステージに向けた準備をする大切な学期(3年生は義務教育の最後の「学期」)です。今年、皆さんが立てる目標は、「誰かを納得させるためのもの」ではなく、「自分自身へのメッセージ」になっているでしょうか。

 今年もよろしくお願いします。

 

 

 

心泰身寧是歸處     (R3.12.24)


 「年忘れ」という言葉があります。「年の暮れに、その年にあった苦労を忘れること。また、そのために催す宴。忘年会」なんです。「年忘れ」は大人だけのものではありません。勉強のこと、人間関係やクラブのこと、受験に恋愛…。中学生もしっかりと悩みや苦労を抱えています。1年の終わりに、私たちがこれまで抱えていたストレス、引きずっていたつらさや悲しみから解放されて、身軽になることができたらどんなにいいでしょう。(自分だけでの「年忘れ」が難しければ、喋りやすい先生のところへ。皆さんがつらさを持ったまま年越しをしていかないよう私たちが受け止めて、少しでも身軽にしてあげたいと思っています。話し足りない人、ちょっと聞いて欲しい人、遠慮は無用です)

 合わせて大切なのは、皆さんが懸命に頑張った記憶や大きな課題を乗り越えた経験については、しっかりと胸に刻ませておくということです。楽しかったこと、嬉しかったこと、小さいけれど大きな一歩、それらを自分の記憶の中にしっかりと意識してとどめることです。それが1年の振り返りであり、新しい年を迎える決意になっていくのだと思います。

 明日から17日間の冬休みが始まります。年末年始の数日は、学期中とは違った時間の進み方になるでしょう。その中で上手に身も心もホッとして欲しいと思うのです。「心泰身寧是歸處(心が安らかで身体がくつろげるところ、そこがおさまるべき故郷です)」を実感してください。そして、ゆったりと寛ぎながら、忘れることと記憶にとどめることを整理してみましょう。

 まもなく迎える大晦日。今年最後の言葉が親や家族への「ありがとう」なんて、ちょっと格好いいとは思いませんか。三中生!

 

 

 

 

されど空の深さを知る      (R3.12.1.)


「新之助」「雪若丸」「だて正夢」… さて、何の名前でしょう?

「金色の風」「森のくまさん」「青天の霹靂」「銀河のしずく」「富富富」… どうですか?

「つや姫」「ひとめぼれ」「華越前」「コシヒカリ」… そう、これらはすべてお米の名前なんです。

北海道産の「ななつぼし」が11年連続、「ゆめぴりか」は10年連続で魚沼産コシヒカリなどと並ぶ最高ランク「特A」を獲得。何十年にもわたる研究と品種改良の成果…という新聞記事があり、全国の米の種類を調べてみてびっくり。知らない名前ばっかり。知っているつもりだったのに…。

 12月です。夏から始まった2学期も冬を迎え、今年もあと1ヶ月となりました。凡事徹底で団結力のある強いクラスが作れましたか? 学校行事で下級生を圧倒するパフォーマンスを見せられましたか? クラスでクラブで気持ちを合わせて「せーの」と、全力を尽くして何かを引っ張り寄せることはできましたか? 皆さんは(自分で思っている以上に、目立たなくてもしっかりと)頑張ってきました。2学期分の実りがそれぞれにあるのではないでしょうか。

 先日、B棟の2階と3階に掲示されている「故事成語ポスター」(1年生国語科の取り組み)を見ました。授業で学習した以外の故事成語(ことわざ)について、意味や由来、例文だけでなく、4コマ漫画も加えながら作成したものです。これが面白い。「杞憂」「臥薪嘗胆」「人間万事塞翁が馬」「油断大敵」など多くを扱ったポスターがありますから、2年生3年生もぜひ立ち止まってご覧ください。

 さて、その中に「井の中の蛙 大海を知らず」がありました。皆さんもよく知っている故事成語だと思います。私が教員になって数ヶ月の時、他府県の初任者と数日間一緒に過ごしながら受ける研修に参加し、私が感じたのがまさに「自分は井の中の蛙だった」ということです。自分の知らない環境や考え方や取り組みがありました。自分の知らない苦しさや楽しさがありました。自分のゴールよりももっと高いゴールがありました。「分かったつもり」だったんですね。それに気付き、同時にわくわく・ウズウズしたのを鮮明に覚えています。

 コロナ禍が学校という井戸をつくってはいないか… 気になるところです。学校行事やクラスの取り組み、日常の授業は他校と比較もできません。皆さんや私たちが三中で「サイコー」だと思っていたものが本当にそうなのか。連合音楽会で感じたこと、クラブの試合で感じたことを共有して欲しいと思います。「井の中の蛙 大海を知らず されど空の深さを知る」ということばがあります。大海を知らずに得意になるのではなく、未だ見ない大海を想像しながら高くて深い空を見上げて欲しいと思いました。

 「知ってたつもり」「分かったつもり」が成長を妨げます。楽しめるほど前のめりに勉強してください。クラスの可能性にわくわくウズウズして過ごしてみませんか。2学期は残り18日。

 

 

 

記憶を共有するということ     (R3.11.1.)


センザンコウって知ってるか? 「知らんなぁ」

実はこれがすごいこと。人の(脳の)すごいところ。ある本を読んでいたら、そんな解説がありました。私たちは、これまでの人生の中で膨大な記憶を蓄えています。たとえそれが13年間であってもその量は計り知れないものでしょう。その記憶からセンザンコウについての知識といえるものを検索していく作業は本来なら何時間もかかるはずです。しかし人は一瞬で「知らない」ことを(つまり膨大な記憶の中にセンザンコウのデータがないということを)導きだす。脳のいろいろな仕組みが関係しあっているとのことですが、「なるほど」ってなります。

 先日、親父の三回忌がありました。お坊さんは私の古い友人だったので、(お経や講話のあと)彼と私が学生のときの話になりました。コーヒー一杯で何時間も喫茶店に居すわったこと。お互いの大学キャンパスを行き来したこと。ここには書けないようなエピソード…。彼が話すたびにその店やその場面やそこでの会話が鮮明に蘇ってきました。忘れていたけれど、忘れてはいなかった。いや、むしろはっきりと覚えていたんですね。一人の経験はやがて記憶の片隅へと追いやられ、思い出すこともないかも知れない。でも誰かと共有できる思い出やみんなと一緒の経験は、思い出させてくれる人がいるんだっていうことに、なんだかとても嬉しくなりました。

 体育祭が終わり、後期の生徒会役員・委員会も決まりました。中間テストのあと、3年生は(二度も延期した)修学旅行に行ってきました。合唱コンクールも行われています。クラスの取り組みの中で、仲間とのやりとりの中で、写真やビデオにも残らない色んなシーンが共通の記憶となっていきます。いつか仲間の誰かの一言で蘇るだろう今のあなたの映像は、生き生きとしていますか?覚悟を決めて舞台に立っていますか?自分のちょっと先の未来を眺めていますか?あなたの活躍は一緒に取り組んだ仲間だけでなく、それを見ていた私たちの記憶にも共有されていきます。それが学校なんだよって思っています。

 11月が始まります。2学期も折り返しです。蘇ったときに、ちょっと熱くなるような記憶にしたいですよね。

 

 

修学旅行に行く理由    ~しおりの「はじめに」より~     (R3.10.6.)


 ひるがの高原、長良川源流、分水嶺公園、御手洗川、鷲見病院…。なんと懐かしい。

 夏は家族でキャンプ場に泊まり、小さな小川でイワナを釣った。分水嶺公園で長男が流した笹舟は太平洋めざして長良川の方向へ。次男が流した笹舟は日本海めざして御手洗川から庄川の方向へ。長良川ではアマゴが。御手洗川ではヤマメが釣れた。

 春は雪の中をフライロッドを持って川へ降りようとして滑り、左足を骨折した。ギブスなどの処置をしてくれたのが鷲見病院だった。本当に懐かしいところへ行くことになった。

 さて、家族の旅行・お泊まりと修学旅行、何が同じで何が違うのか。そもそも大人数で旅行に行くということは、行動するだけで、少しお喋りするだけで、周りの方にとっては迷惑だということ。混雑する。雰囲気を変えられてしまう。うるさい。邪魔…。

 それでも私たちが行くのにはしっかりとした理由がある。その理由や意義を一人ひとりが押さえていないと、ただの迷惑旅行になってしまうのだ。

 1つめ。学園町から離れ、ナマの自然やホンモノの文化に触れる体験を通して、普段の学習活動を充実発展させるため…。重要なのは、自然体験や歴史文化に触れる体験が振り返りによる新たな学びとならないと、「経験」にはならないということ。すごかった。楽しかった。で終わるなら、それは家族旅行で十分なのだ。むしろそっちの方が気楽でいい。

 2つめ。校外での集団活動を通して、人と人との人間的な触れ合いを深め、多人数のダイナミックさや、考え方の違う人とつきあう難しさや面白さに出会うため…。いろいろなタイプの人がいる集団やクラスで、よりよい人間関係を作ろうとする意欲や態度こそ、今後の皆さんの最も大きな力となる。めんどくさいかも知れない。が、その分だけ得るものは大きいのだ。

 修学旅行は、予定通りなら58時間30分の持ち時間である。集合の合図から完了するまでの時間など、みんながそろうのを待つ無駄な時間を0に近づけることで、楽しい時間を減らさずにすむ。あなたの時間はみんなの時間でもあるのだ。叱られる時間、反省する時間、そんな時間はない方がいい。ましてや、けがをして、鷲見病院に行く…なんてことのないように願う。

 皆さんと先生方とスタッフの皆さまと、一緒に楽しい修学旅行にする覚悟です。

 

 

せーので引っ張って、全力を尽くせ    (R3.10.1.)


 ふと気になって、運動会と体育祭の違いについてネット検索することになりました。違いについては分かっているつもりです。でも世間では「違い」をどう捉えているのだろう。どう説明するのだろうと思ったのです。

 運動会は、幼稚園や小学校、会社や地域団体などで行い、体を動かすこと・運動能力をさらに伸ばすことを目的とした内容が多い。保育士や先生が中心となって進行し運営する。一方、体育祭は、中学校や高校で行い、体育の授業での日々の鍛錬などの成果を発揮する場として(リレーなど)の競技が多い。テント設営や競技の進行などで生徒が大きく関わり運営する…。  …そんなことは三中生なら誰でも語れるよ。そう思いました。

 運動会では採用が少ない「クラス対抗」ですが、体育祭ではメジャーです。三中の体育祭は、3学年を縦割りにした4チーム(黄・青・緑・赤)編成をしていますよね。たまたま3学年とも4クラスなのでスムーズに縦割りができているのですが、このアドバンテージを利用した(3学年合同)チーム対抗のプログラムがなんと5つもある。全体の3分の1なんですね。これは「運動会」ではあり得ない。全学年でチームを作って一緒に競技し戦う。これぞ体育祭の醍醐味だと思うのです。

 ところで、4チーム対抗戦の1つに綱引きがありますが、日本中のいろんな運動会や体育祭で行われている「綱引き」のかけ声と言えば(かわりばんこに声を出す)「オーエス」がポピュラーだと思っています。(相手にかまわず「せーの、せーの」や「わっせわっせ」を出し続けるのもありますが…)でも「オーエス」っていったい何なんですかね?…ということで再び調べてみました。諸説ありましたが、もっとも有力な説はフランス語の「oh hisse(オーイス)」がオーエスに変わったとういうものでした。「oh」は「せーの」で「hisse」が「引っ張る」つまり、「せーの。引っ張れ!」となります。なるほど、なるほど。さらに、もう1つ有力なのが、英語の「all-out effort」(全力を尽くせ)からきているという説です。なんか、これ、いいなぁ…と思いました。

 行事の多い2学期の1ヶ月が過ぎ、今年度の折り返しとなります。クラスでチームでクラブで学年で、気持ちを合わせて「せーの」。全力を尽くしていろんなものをしっかりと引っ張り寄せてくださいね。

 10月は体育祭で始まります。

 

 

 3年生の存在感を示すとき   (R3.9.1.)


 試合直前の練習で骨折したのでしょうか。松葉杖をつく3年生は体操服のままベンチにいました。おそらくこれが最後の試合。それが彼の表情から読み取れます。8月の終わり。湿った空気と乾いたフィールド。しばらくなかった真夏の日差しがこの日は三中のグラウンドに容赦なく照りつけていました。前半に1点、後半に1点を失い、2点のビハインドのまま試合終了まであと数分のそのとき。彼が監督に呼ばれたのです。ユニフォームに袖を通したあと、監督と二言三言。本部のスタッフがレフリーに交代を告げました。乾いたフィールドに松葉杖をつきながら、湿った空気を切り裂くように彼はピッチへ向かったのです。

 「世代交代」の2学期が始まりました。1学期末から夏休み中、あるいは2学期始めに部活動や校外のクラブチームを「引退」した人がいます。9月の大会や文化鑑賞会で「引退」する人がいます。すべての部活とクラブチームは、新チームや新体制となり、新キャプテンや新部長が誕生するのです。生徒会や委員会も2年生が中心となる「後期」が始まります。それぞれで、2年生以下が中心となる活動が始まります。3年生の皆さんは後輩たちへ何を伝えたかったですか?3年生の思いはしっかりと伝わりましたか? …まぁ、とりあえず、あとのことは後輩たちに任せようではありませんか。

 でもね、学級活動には引退はないんですよ。中学3年生としての日々にも引退はありません。これからは一人ひとりの目標設定や取り組んでいく姿勢がより問われるようになります。また、部活やクラブチームで使っていた時間とエネルギーを自分自身とクラスに集中することができます。だからこそ3年生は、体育祭や合唱コンクールで1・2年生を圧倒する、凄まじいほどのパフォーマンスを見せられるのではないでしょうか。そこに3年生の矜持があると思います。3年生の義務かも知れません。そして世代交代後の(1・2年生からのプレッシャーを跳ね返す)3年生の頼もしい存在感こそが、憧れの三中を創っていくことになります。

 タイムアップの笛をピッチ内で聞いた松葉杖の彼の目には涙がありました。涙の理由は私には分かりません。でもその姿を見ていた後輩たちへ何かがしっかりと伝わったことは分かりました。

 

 

凡事徹底   (R3.8.25.)


 2学期が始まりました。小中学生にも感染しやすいと言われているデルタ株のコロナウイルスが広がっています。小学校の特色でもある「ふれあい」や中学校の特色でもある「部活動」が感染のウイークポイントになってしまっています。緊急事態宣言も繰り返して出ており、行き詰まりを感じることさえあるかも知れません。

 でも、そんな時こそ、当たり前のことをどれだけしっかりとやり切れるかどうかが問われます。「マスクをつける」「ディスタンスをとる」「部活の休憩でお茶を飲むときには喋らない」「下校中に暑くてマスクをはずすならば喋らない」そんな何回も何回も聞いてきたことを改めてしっかりと徹底するのです。これを「凡事徹底」と言います。当たり前のこと、基本的なことを本当にしっかりと徹底しましょう。凡事徹底ができるクラブは絶対に強くなります。凡事徹底ができるクラスは団結力のある強いクラスになります。

 2学期が始まりました。みんなで当たり前のことをやり切って、強い三中を創っていきましょう。

 

 

 

絶えず人いこふ夏野の石一つ  (R3.7.20.)


 クマゼミの声のシャワー。毎朝の蝉時雨。夏が始まりました。

 風物詩か。うるさいと感じるか。生命力を感じとってエネルギーに変えるか…。何年か前、広島市の平和公園で地面で鳴いているセミの写メを撮ろうとスマホを向けてかまえた時に、そのセミを突然グシャっと踏んだ外国人がいました。その人にとっては騒音を出すだけの害虫なんでしょうね。文化の違いを感じる驚きと新しい発見があり、国際理解(異文化理解)教育の重要性を感じましたが、自分自身が踏まれたような感覚があったのも覚えています。

 タイトルの俳句は正岡子規です。日の光が激しくなって、夏草が茂り、緑の深くなった夏の野原。その夏野の中に石が一つあって、絶えずそこを通る人が腰をおろして休憩している。この句の解釈をいろいろ読んでみると、夏の野原というものがあってはじめて存在の意味が生まれてくる石に、子規は不思議な愛情や思いを感じているのではないかというものがありました。

(ヨルシカの「ただ君に晴れ」という歌の中には、子規のこの句をオマージュした歌詞「絶えず君のいこふ 記憶に夏野の石一つ」が出てきます。この歌には、「鳥居 乾いた雲 夏の匂いが頬を撫でる」や「夏日 乾いた雲 山桜桃梅 錆びた標識」といった歌詞が続くので、聴いた人は夏のノスタルジーに浸ってしまうのではないかと思うのです。ちなみに山桜桃梅の花言葉は「郷愁」と「輝き」だそうです)

 夏休みが始まります。皆さんが多くの時間を過ごすのはどこでしょうか。もっとも濃く満たされた時間を過ごすのはどこでしょうか。グラウンドが、テニスコートが、体育館が、プールがそうなるのかも知れませんね。ある教室かも知れません。あるいは、自宅のある場所や塾や予備校や、野球場やサッカーコートかも知れません。やがて、その場所は、夏が来るたびに思い返される、皆さんの「夏野」に、そして「一つの石」なるのではないでしょうか。長い夏休みではあります。その中で、皆さんそれぞれがしっかりとした存在感を示す時間を作って欲しいと願っています。

 夏を楽しみ、夏休みを楽しく過ごしてください。皆さんに与えたれた時間は平等です。ですが、結果は必ずしも平等とはならないことも理解しておいてください。(野村克也さんの言うとおりなんです)

 

 

 

声を出す姿に心が顕れる    (R3.7.1.)


 朝は正門で登校してくる皆さんを出迎えます。

 6月の末、ある人が大正川のスクランブル信号で待っている間に本鈴前の音楽が流れだしました。もう間に合いません。遅刻です。信号が青になって、その人は走ります。チャイムが鳴ります。正門で挨拶をしながらも止まることなく、校舎の方へと走り続けていったのです。走姿顕心(そうしけんしん)という言葉が頭に浮かびました。遅刻となった後もひたむきに走るその姿に、その人が物事と向き合う気持ちや心を見せられたような気がしました。

 よく似た言葉で(造語だとは思いますが)「声姿顕心」というのが、ある高校の野球部の部訓にあります。「相手に立ち向かう勇気の声」や「状況に応じた指示確認の声」、「相手の気持ちに応える返事の声」など、声には必ず目的があるということと、「声に自分の想いが込められているか、それを相手に届けようとしているか」ということを認識して実行することで、チームの雰囲気を作り、強いチームを作ろうというスローガンです。

 朝の挨拶から始まり、三中ではたくさんの「声」が交わされます。クラスで、クラブで、先生と生徒が、先輩と後輩が、友達どうしで、先生どうしでいろいろな「声」が交わされます。その声は、自分の想いが込められた声なのか、相手に届けようとしている声なのか…。そして、その声をあなたはしっかりと受け止めることができているのか…。このさい、みんなで少し意識してみませんか。そうして、いい雰囲気の中で、強い三中を作っていけたらなぁと思うのです。

 7月です。1学期のまとめの月を迎えます。新しい学年の最初の学期を振り返り、評価することとなります。何が分かり、何ができるようになったのか。身に付いたいろいろな「力」を皆さん自身で確認するとともに、どんな頑張りができたのか、何にこだわってどう取り組んだのか、という取り組みのプロセスもしっかり振り返って欲しいと思います。

 梅雨明けまでもう少し。夏休みまであと少しです。

 

 

 

語先後礼    (R3.6.16.)


 毎朝、皆さんに「おはようございます」と、挨拶しています。私の挨拶に合わせて挨拶してくれる人、ペコッとお辞儀する人、中には私より先に「おはようございます」と挨拶してくれる人もいます。

 さて、今日は皆さんに、気持ちの良い、かっこいい、そして、社会人のマナーとして通用する挨拶の仕方について話します。挨拶は、「語先後礼(ごせんごれい)」がいいと言われています。               「語先」。言葉が先なんです。「後礼」。その後に礼をします。よく、「おはようございます」とか「ありがとうございます」と言いながらお辞儀(礼)もする人がいますが、それだと、挨拶の言葉を地面に言っているようになりますね。挨拶は相手の顔を見て言うのが正しいのです。まずは相手に挨拶の言葉をしっかりと届けて、その後に礼をしましょう。「語先後礼」です。覚えておいてください。

 ところで、高校野球で試合の最初と最後に整列して行う「礼」や体育の授業で行っている「礼」は、お辞儀をしてから(お辞儀をしたままで)、「お願いします」「ありがとうございました」と言ってますが、あれは挨拶というより「礼」ですし、大勢で揃えるというところも必要なので、「語先後礼」があてはまらないのだと考えます。

 

 

英姿颯爽     (R3.6.1.)


 平年よりずいぶん早く始まった梅雨の中、先日の日曜日は午前中から気持ちのいい天気でした。MTBで淀川の堤防を走っていたところ、寝屋川市側の河川敷グランドで小学生の野球チームが試合をしていました。男子ばかりの中で、ちょうどバッターが女の子だったので休憩がてら観ていました。ストライク。ボール。ボール。そして4球目。真ん中からやや外のストライクを逆らわずに打ちました。セカンドの頭上をライナーで越えた打球は右中間に。みごとなツーベースヒットです。女の子には派手なポーズもありませんでしたが、セカンドベースに立つ姿は、堂々として勇ましく、凜として爽やかでした。本当にかっこよかった。

 例年なら1年生も部活動に慣れてくる頃でしょうか。部活動や中間テストなどの「中学校」を経験しながら、しっかり「中学生」になっていくのが1学期の前半戦です。特に、部活動ではそれまでの横の関係に加え、縦の関係を作っていくことから、人間関係に大きな幅ができるとともに、身近な「あこがれ」「目標」を持つことができる時間にもなっています。そんな貴重な時間は、2年生・3年生にとっても同じでしょう。後輩から、「見られる」「聞かれる」経験こそが、上級生の誇りや頑張りを育てるのだと思います。見栄や意地が大きな成長につながっていくのです。

 シュートを決める、エースをとる。試合で活躍する時に心が洗われるはずです。いい記録が出る。納得のいく演奏ができる。努力が報われる時に精神が一つ高くなります。でも2年生や3年生に知っておいて欲しいのは、皆さんは普段の練習中・活動中にも、しっかりと堂々として勇ましく、凜として爽やかな場面があるということです。黙々と走る姿、何回も何回も繰り返す姿、集中して話を聞く姿、照れながらも懸命に話す姿が、この私に「かっこいい」と思わせます。英姿颯爽の三中生なのです。

 6月が始まります。1学期も後半戦となります。少し遅れている「1年生も加えた」今年度の部活動ですが、もうまもなくスタートです。皆さんのかっこいい姿を見に行きますね。楽しみです。

 

 

階段の回り方    (R3.5.26.)


 三中には校舎の中には3つの階段、外側に4つの非常階段があります。この7つの中には、上っていく時に「時計回り」の階段と「反時計回り」、つまり陸上協議のトラックや野球・ソフトボールの回り方と同じ回りの階段があります。

 高層マンションや大きなビルなどの非常階段は、上るときに時計回りになるように作っていると聞きました。避難する時、つまり階段を下るときに反時計回りになるように作っているのは、反時計回りに進む方が安定感・安心感を感じるからだそうです。

 左へ左へ回っていく、陸上協議のトラックや野球のベースの回り方は「反時計回り」で、理由は分かりませんが確かに安定感を感じます。一方、右へ右へ回っていく「時計回り」は少なからず不安感を覚えます。実はそういった心理を利用した乗り物があります。不安を感じさせた方がいいジェットコースターは時計回りに進みます。お化け屋敷も右へ右へ回りながら進むように作られています。反対にメリーゴーランドは安定感のある「反時計回り」なんですね。

 三中は4階建てで「高層」ではないので、階段の回り方に意図はないそうです。ですが、皆さんが毎日使う階段です。どの階段が安定感を持って上っていけるか、下っていけるか…。お気に入りの階段が見つかるといいですね。

 

 

 

April showers bring May flowers.   (R3.4.30.)


 4月の雨は、5月の花を咲かせる。

 イギリスのことわざです。シンプルで短い文に、皆さんは何を感じ、どんな意味を考えますか。

 新年度が始まり1ヶ月が過ぎようとしています。授業や学級活動の回数とともに、皆さんはその「学年」として呼ばれることに違和感もなくなり、すっかり「学年」の顔つきになってきたのではないでしょうか。学習する内容がそうさせるのか。新たな後輩ができたことがそうさせるのか…。 たった1ヶ月で顔つきや雰囲気が変わってくるのは、もしかしたら「ラベリング効果」があるのかも知れません。「ラベリング効果」とは、社会心理学の概念で、「あなたって○○だよね」と決めつけるようにラベルを張ると、本人はラベルに貼られた行動を次第にとるようになる、という理論です。(犯罪についての「ラベリング理論」とは少し違います)「お姉ちゃん」「お兄ちゃん」と呼ばれながら育つと、お姉ちゃんお兄ちゃんらしくなっていく。血液型診断の本に「A型は几帳面」だと書いてあることで、A型の人は「几帳面」というレッテルを貼られ、無意識に「几帳面」のような行動を取れるように意識してしまうということです。時には「どうせ□型だから」と言い訳に使うことで、さらにその血液型診断の記載に合わせるようになります。血液型らしくなっていくということです。

 3年生は3年生らしく、2年生は2年生らしくなりました。そして1年生は中学生らしくなりました。春もいよいよ終わりに近づいています。イギリスのことわざは、5月に花を咲かせるためには3月の風と4月の雨が必要だと言います。花を咲かせるには、必要なプロセスがあるということです。「心の中に雨がふることも、風がふくことも、時には雷がなることもあるけれど。それは全て未来に起こる何かの為の準備期間」とブログに綴っている人がいます。「悪いことがあっても、その先にはいいことがあるよ」と解釈する人もいました。なるほどなぁと読みました。

 さぁ、5月が始まります。自分はしっかりやっていけると信じて取り組むこと。自分は成功すると自信を持つこと。実はこれもラベリング効果なんですよ。

 

 

今ありて     (R3.4.8.)


新しい季節(とき)のはじめに 新しい人が集いて

頬(ほほ)そめる胸のたかぶり 声高(こわだか)な夢の語らい

 令和3年度の初日となる4月1日。第93回選抜高校野球大会は、東海大相模が3―2で明豊をサヨナラの末に降し、優勝を果たしました。昨年度はコロナ禍で中止となった大会です。いろいろなチームの2年分の思いが伝わるような熱戦が連日繰り広げられました。冒頭の歌詞は、この大会の大会歌「今ありて(作詞:阿久悠、作曲:谷村新司)」の最初の部分です。

 

 入学式で124名の新しい仲間を迎え、第三中学校の1学期がスタートしました。春休みを終えた皆さんは、新しい季節の始めに新しいクラスで集まりました。新しい学年で取り組みたいことや目標・夢といったものを思い浮かべながらワクワクしたはずです。担任の先生や友達との会話もいつもより声高になっていたかも知れませんね。

 

 実は、新学期のスタートは生徒の皆さんだけでなく、私たち教職員も胸のたかぶりで頬がそまるのです。皆さんが春休みの間、私たちは今年度の夢を語らいながら、実現するための準備を進めてきています。第三中学校が「夢や目標へ向けて、安心してチャレンジできる場」となるよう、全力でサポートしていきますから。

ああ甲子園 草の芽 萌え立ち かけめぐる風は 青春の息吹か

今ありて 未来も扉を開く 今ありて 時代も連なり始める

 コロナ禍の中、できないことや今まで通りでないことがこれからも続くでしょう。でもそれを嘆くのではなく、工夫してできることや、今までよりもいいものを一緒に考え・創り出していきましょう。今を頑張ることでしか未来の扉を開けることはできないのです。

 4月はいろいろなことに出会います。チャンスです。チャンスをいかすかどうか、チャンスでタイムリーヒットが打てるかどうかは、皆さんの心の持ち方にかかっているのかも知れません。今ありて、未来も扉を開きます。

 保護者の皆様、地域の皆様、今年度もご協力・ご支援をよろしくお願いいたします。